2010年11月15日月曜日

しゅうかいどう



伊藤左千夫 左千夫歌集 から
秋海棠のさはに咲きたる背戸山に米とぐ女の児手白足白

朝顔は都の少女秋海棠はひなの少女か秋海棠吾は

秋海棠、ベゴニア属の多年生草本で球根植物、原産地は中国山東省・マレー半島で江戸時代に日本に持ち込まれた帰化植物である、松尾芭蕉は花の色を見て西瓜色と句を詠んでいるが花の色は淡いピンク、濃いピンク、白があり観賞用として品種改良がされ、耐寒性が高く直射日光を嫌い明るいところをを好むので木の下草として庭に植えられることが多い。
貝原益軒の大和本草に中国名も秋海棠で音読みでシュウカイドウと言い瓔珞草(ヨウラクソウ)とも呼ばれる。
全草に殺菌作用のあるシュウ酸を含み茎・葉を生のまますり潰しかゆみのある皮膚疾患(水虫・タムシ)の患部に直接塗布すると効果があるそうで一時的な措置に庭の草を刈り用いた、葉を食べた方があり酸っぱいと感想を記している書物もある。

2010年11月14日日曜日

蓼 1


わが屋戸の穂蓼古幹採み生し 実になるまでに君をし待たむ(11・2759)
わがやどのほたでふるからつみおほし みになるまでにきみをしまたむ

我が家の蓼の古い茎から穂を摘んで新芽を出させ、それがまた実になるまであなたを待っているでしょう

蓼(たで)、タデ科タデ属の一年草、ヤナギタデ、イヌタデ、ベニタデ、アオタデ、など種類は多くが全国いたるところに自生する

蓼は奈良時代には大豆や海藻に並ぶ大事な食品であったが貴族や上級役人あたりは薬味、生薬としての効能よりもどくとくの辛みからどこにでもある気にもとめない植物扱いをしていたようであるが、庶民にとっては一度に全草を摘まず脇芽をのばして日々食用とした大切な植物のひとつであった。蓼食う虫も好き好きという諺があるが蓼のもつ辛みと身体に良い成分に対し大変失礼な表現である。

(原文)小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼
(読み)童ども 草はな刈りそ 八穂蓼を 穂積の朝臣が 腋草を刈れ(16・3842平群朝臣)
(意味)子供たちよ草を刈らないで穂積の朝臣の臭い脇毛を刈りなさい
これは彼の子孫としては大変恥ずかしい詩ではないでしょうか、仲の良い友人をからかったつもりでしょうが数百年というか万葉歌が語り伝えられる限り残る、ユーモアととれるか際どいところで、賢明な歌人は詠み人知らずとなるようにしている、東歌や詠み人知らずの恋詩のほうが蓼も喜ぶ

柳蓼の葉をすりつぶして酢でのばしたタデ酢は鮎の塩焼きに添えられる。タデの辛み成分はポリゴシアールと呼ばれるセスキテルペン・ジアルデヒドで昆虫の摂食阻害作用や抗菌作用がありタデオナールとも呼ばれている。ヨーロッパでは柳蓼の実を胡椒の代用としてつかわれるようで果実の辛みも捨てがたいものがあるようです。
タデ食う虫も好き好きというが辛みの強い蓼を食べる虫もあるということは有害なものを含んでいないということで適度に食べることは良いことではないでしょうか
柳蓼の成分は血液の凝固促進、血圧降下作用があり消炎、利尿、下痢止め、解熱、虫さされ、食あたり、暑気あたりに効果があるということで民間薬として重宝されてきた、暑気あたりには茎と葉をすりつぶし同量のオロシショウガを混ぜて服用すると夏バテ防止に良いそうでです、痛みのある腫れものには生の葉をもんで塗布すると痛みが治まるそうで応急的な痛み止めには効果がある。
ネパールでは葉を砕いて川に流し魚をとるそうである、また葉は黄色の染料ともなるらしい。 

2010年11月13日土曜日

宮材


宮材引く 泉の杣に 立つ民の 休む時なく 恋ひ渡るかも(11・2645)
宮材を引き出す泉の杣の役民のように休む時もなく恋し続けることだよ

宮材(みやぎ)、東大寺、大安寺、薬師寺などを造営するための木材
泉、泉木津(京都府南部)
杣(そま)、筏あるいは筏を組んで川を下る船頭や小連関連する作業をするものを表現しているよう
立つ民、労働を課せられた庶民、役民ともいう

宮材はスギや松、ヒノキなどをあらわしている
平城京のお祭り終わりました、奈良には上宮王(厩戸皇子)後に聖徳太子よばれた為政者達が造営した木造建築物が多数残されている、解体修理や改修すると当時の木材は薄く鉋をかけるとまだまだ使用できるものがたくさんあるそうで現在の建造物と比較すると雲泥の差がある。日本古来の建材等を扱う職人に聞くとその土地で採れた物を家屋に使用するのが一番だそうです。
赤道直下の安い材を輸入し数十年手塩にかけた国内の材に見むきもしない民はやがて西安や洛陽の民が松や杉に食指を伸ばしていることに気付かずにいる日出国の民はいつから日入る国の民と同等に対話するのを忘れてしまったのか!

2010年11月12日金曜日

紅葉


黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色付く見れば(10・2202)
紅葉する時になったのでしょう 月の中の桂の枝が色づいたのを見ると

黄場、もみじ
月人、つきひと、中国では月を擬人化し月人(つきひと)、月人壮士(つきひとをとこ)、月読壮士(つくよみをとこ)などと読んでいた。
桂、キンモクセイの仲間で原文には楓(ふう)となっている

この時期、たまに紅葉の天麩羅が話題になる初めて食べた記憶は鮮明に残るようですが、食べられることに気付き工夫を重ねた先人の知恵はすばらしいが食に関心がなければ「アッソー紅葉の天麩羅を食べたの」という反応が返ってくる。紅葉の天麩羅、能勢や京都の神護寺など各地にあるようです

キク科の植物でモミジガサという観賞用の植物があるがこれを庭木の下草として植えておき4月から7月に若葉や茎を採取し乾燥させて保存し煎服するといいと聞いたことがある。喘息の生薬らしいが若葉はそのまま汁物にいれ煮て食べてもよいそうである。

錦織なす山は紅葉の季節をあらわす表現であるそうで、山が笑うと春の山だそうです

季節を色で表現すれば秋は黄色と朱そして茶色わずかに濃い緑となるようでこれを錦秋(きんしゅう)と言うようです、春は鶯色と桃の花の淡いピンクであるかも
 形であらわしたのはやはり紅葉饅頭か栗饅頭、最近は栗を入れた栗コロッケなるものも店頭に現れ秋の商品はあらゆるところに。

2010年11月11日木曜日

草


恋草を 力車に 七車 積みて恋ふらく 我が心から(4・694広河王女)
こひくさをちからくるまにななくるまつみてこいふらくわがこころから

恋草をつから車に幾台も積むほどおびただしくあなたを恋するのも 私の心からわき出るものなのよ

恋草、地中から萌え出で生い茂る草の勢いと溢れ出る恋心を喩えたもの

広河王女(ひろかわのおほきみ)は穂積親王の孫で無位から従五位に叙せられた人物

力車、租庸調の税のほか贄(にえ)とよばれる天皇のための食物を積み運んだ運搬用の荷車

現在、力車を検索すると人力車がアップされ荷車は現代人の脳裏から消えさっている、七車とは沢山のとかこんなにという喩えであると思われる。今風なら10トンの貨物車7台位ということになるのか、恋草と詠われた季節は秋だそうで春や夏のように熱くなる心でなく冷静に相手のことを思い悩んだ末の気持ちを詠い熱き心を女性から打明けられ相手はさぞときめいたことだと思う

2010年11月7日日曜日

をち水


我が手本 枕かむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪生ひにたり(4627)
わがてもと まかむとおもはむ ますらをは をちみずもとめて しらがおひにたり
私の手を枕にして寝たいと思っていらっしゃる赤麻呂さんは、若返りの水を求めていらっしゃい。白髪が生えていますよ。

白髪生ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めて行かむ(4・628佐伯赤麻呂)
しらかおふる ことてゃおもはず をちみずは かにもかくにも もとめていかむ
白髪が生えていることは、何とも思いません。若返りの水は、何としても求めに行きましょう。

昇任試験の面接で面接官が「君の部下の女性が髪を染めたら君はどうする」と質問されたそうですが貴方ならどう答えますか。
私なら即答はせずしばらく沈黙し、面接官を右から左、左から右に見て「その時でなければわかりませんが男性で白髪を染めている方も大勢いらっしゃいますので」と答えると思います。オシャレと自己主張は異なる、市役所の市民課等や警察の運転免許課に行った際に働いている方の三分の一以上の御髪が白いと訪れた市民は明るい役所だと思うだろうか、また百貨店で白髪の店員さんが大勢いるとどうでしょう、女性が髪を染めれて出勤すれば問題でおじさんが白髪を染めて出勤すれば問題なしはおかしい。御髪のさみしい方はノイローゼになることもあるようで植毛をしてでもと必死になっている老若男女からすると呑気な会社ですねと切り返しがあるかも

ある大手企業の関連会社に中卒でベルバラやアニメのお姫様スタイルが大好きな金髪の女性が働いていると聞いたことがありますが仕事中は金髪でもなくアニメのお人形のような服装でもないのでまったく違和感がないそうで、白髪のおじさんやおばさんが何を好むのか茶髪の若者が今何を求めているのかを敏感にキャッチし実績は経験の豊富なおじさんやおばさんを追い抜き常にトップで現在はその企業の役員になっているそうです。
この女性、仕事中は地方の方言丸出しで働いているそうですし仕事が終われば鬘を脱いで街の中に消えていくそうです少しぐらい髪を染めているからと目を三角や四角してどうする
 仕事に対する打ち込み方と髪の色は比例はしない、ある公立高校の吹奏楽部、茶髪やダボダボのズボン、ロングのスカート・超ミニスカートで駄目クラブと他校に評価されていたそうですがいざ普門館となると統制のとれた行動と楽器・道具の整頓あるいは控室前の靴の揃え方は高く評価されているそうで偏差値の高い進学校の教師が見ると恥ずかしいくらい行儀がいいそうです。ちなみに普門館の常連校は顧問や教師が指示する前に部員が先輩の行動を見て自然に合理的な行動をとるそうで体質的には体育会系のクラブであると言える。
白髪のおじさん・おばさんが目立つ会社や役所がいいのか茶髪のお姉さんが大勢いるお店が駄目なのかより仕事や目標に向かっている心と日ごろの行動ではないかと思わされる

2010年11月6日土曜日

嵯峨菊


海原の 遠き渡りを風流士の 遊ぶを見むとなづさひぞ来し(6・1016)
海原のはるか遠くから、風流な人たちの遊ぶのを見ようと苦労してやって来たのだ

風流士(みやびを)趣を理解する洗練された感覚を持つ人とでもいうのか

万葉集には風流士の言葉が見られるが野暮な凡人では理解できないことを楽しんでいいる、この歌は蓬莱からの仙女をあらわす袋鬘を壁に飾り粋な集いを楽しんでいるものでただ酒を飲み飲めないものは飲めばいつか酒に強くなるのだというような野暮天な宴会馬鹿には理解できない催しを詠っている。

壁のフクロカズラがカラスウリかカズラであるかは問題でないので宴席で壁の飾りが鬘ですなというような程度の教養では裸の王様と同じということだそうで下戸には思いやりをもち楽しく過ぎゆく季節を堪能するのが粋な人である。

嵯峨の大覚寺には大沢池があり中秋の名月を楽しみ翌月は芋名月を堪能し羽織物が一枚ほしいこのごろは菊が美しい特に嵯峨菊は見ものである、菊の時期が過ぎると紅葉である散紅葉はどこで見ても美しいものであるが景色の移り変わりを同じ所で楽しむのもまたいいものである。

よく一度、訪れたところは前に行ったからという方もあるが景色にしても博物館にしても何度も訪れてみるもの物の見方が変わり発見があるものである。

菊を詠った万葉歌はないようです