2010年10月27日水曜日

アケビ



狭野方は実にならずとも花のみに 咲きて見えこそ恋の慰に(10・1928)
さのかたは実らずとも花だ けさは咲いた姿を見せてほしいものです。恋に苦しむ心の慰めに。

狭野方(さのかた):あけび、つる性の落葉樹で雌雄同株でしかも雌雄異花。実が熟すると口が開いたようになりこれから「開け実」となり変化し「あけび」となった。
 茎の部分が生薬として使用され薬名は木通。実の種を包むゼリー状のところに甘みがある。種からは食用油を採取することもできるが最近ではあまり聞かない。
 果実の皮は大人が好む苦味があり、茎、実、種とも有効利用できる果物である。
 アケビ科の実は古来から朝廷への献上物とされたいたら朝廷は開いた実を嫌い熟していないものかアケビ科ムベ属のムベ(郁子)を望んだ。
 アケビの茎には利尿作用と抗炎症作用がある、中国ではアケビとは別の種属である関木通(ウマノスズクサ属)を木通と称して販売しているところもあるそうですがこれには腎臓障害を起こすアリストロキア酸が含まれ注意が必要である。

 ところで上の歌の返歌は
狭野方は実になりにしを今わらに春雨降りて花咲かめやも(10・1929)
今さら春雨が降って花が咲くことなどありましょうか。
である。
 紫色の果皮は美しい女性に似合うのかもしれない着こなせばしっとりとした雰囲気が醸し出されるかも
 アケビのつるで編んだ籠に花を摘み、お茶をいただき季節を楽しむのも和むものです。

 

2010年10月11日月曜日


八千草尓 久佐奇乎宇恵弓 等伎其等尓 佐加牟波奈乎之 見都追思努波奈
八千草に 草木を植えて 時ごとに 咲かむ花をし 見つつ偲はな(大伴家持)
いろいろな種類の草木を植えて、季節ごとに咲く花を見て楽しみましょう

万葉集には日本古来の植物から外来種のものまでたくさんの花が詠われたいますが植物の名をあげずに詠まれている歌も多く、また、造語も結構あるようで大伴家持は表現するのにふさわしい言葉がなければ造ればよいと「秋風」という言葉を作っている、季語にこだわることのない和歌はいつ詠まれたのかと想像すると楽しい

季節を現すのが植物ですが八百屋や果物店をのぞくと旬のものが並びお菓子屋さんの前を通ると季節を感じさせる銘のものが目立つのが食欲の秋、この季節の代表である栗も製造工程で名前は変わる「小栗」「渋栗」「栗大福」「栗羊羹」「栗きんとん」また商品名も「ひらがな」「漢字」「ローマ字」と様々、これに写真やイラストが加わると無数といっていいほど種類は多くなる。これまでにいただいた栗のお菓子でこれはお土産にと思って物に栗を蒸しそれを粉にして和三盆を加えて型で固めた干菓子がありましたが季節限定のものとなると仙太郎の渋栗が手間暇がかかる商品であるが味はシンプルであるのに美味しかった。

栗名月、芋名月を楽しんだのが昔の日本人である、お菓子屋さんで芋のお菓子が並び始めるとそろそろ満月ですねと話すとハイと笑顔でうなずかれると季節ですねと言わずとも通じるものがある、洋菓子屋さんでは芋だ栗だと言っても店員さんはうなずいてくれないが旬をあつかうお菓子屋さんならうなずくだけでなく時には一口いかがですかとお茶も出てくる、こんな時は素直にいただくべき

2010年10月9日土曜日


もみち葉の にほひは繁し 然れども 妻梨の木を 手折りかざさむ(10・2188)
もみじ葉の染まる色も様々でいっぱいあるけれども、しかしながら、私は妻無しという梨の木の枝を手折って髪飾りにしょう

万葉集に詠われる梨は山梨をさし4月に五弁の白い花が咲き若葉のそばに数個の実がなる、大きさは3cmほどのもので日本梨は堅くて不味く赤梨と青梨があり薬効がよく知られ風邪などの解熱効果や肝臓の負担を軽くする効能から貴重な果実として朝廷に納められたそうである。
日本書紀によれば梨や栗は飢饉に備えて栽培されたもので、為政者が山野に果樹を植え栽培することを奨励したことは民を飢えさせないためである。山間部では栗や栃を植えいつしか野生化した植物も数々ある。日本には茶の木は自生していなかったが四国や西日本では野生化した茶樹があるのもこうしたことからではなかったのかと思われる。

「李下不正冠」と習いましたがこの場合の李は「すもも」日本で検索をすると左のようになるが中国では「李下不整冠」となるそうでこのことわざが作られた当時まだ梨が今ほど普及していなかったからとスモモの木の高さが人の身長と同じ程度になることからつかわれるようになった、実のなる果樹ならどのような木でもよさそうであるがのどが渇いた時に食するとおいしいものはスモモであった。

 今日、紅茶を練りこんだお菓子のことをある方から尋ねられましたが味と香りを損なわずにお菓子を作り上げるのは非常に難しいようです、香りのよい紅茶となるとアールグレーとなるようで愛知県に本社のあるケーキ屋さんFLAVORにアールグレーティーケーキがあるこのお店の紅茶は子供や妊婦さんにやさしいカフェインの無いお茶がある
 妻梨の意味も理解していただければ嬉しいが

2010年10月5日火曜日


稲見の野のあから柏は時あれど 君をあが思ふ時は実無し(20・4301安宿王)
いなみののあからがしははときあれど きみをあがもふときはさねなし

稲見野のあから柏が色づく時期は決まっていますが、私が天皇を思う気持ちには全く時期はありません・

柏は広い葉をもつ木の葉の総称でホオノキ、トチノキ、アカメカシワ等を指していた。昔は九州では栽培されている柏のほかには自生しているものはなくホオノキやハナズオウやサルトリイバラのはが代用として使われるところもある。

 バショウの葉は代用というよりもカシワのないところでは同じ目的で使用されている例の一つである。
 
 古来、カシワの葉は神事に使われていたものであるが調理に用いやすいところから団子を包んで蒸すのに使用するようになったものとされている。柏は春に新芽が出るまで寒い冬も落ちずに樹についていることからつらいことがあっても頑張ろうというたとえにつかわれる。

 神社や仏閣にお参りするとミタラシ団子やあぶり餅等と同じようにカシワ餅が売られている現在も昔同様に参拝のお土産としてよく見る光景。夏は冷やして食べてもよくこれからは蒸しなおしてアツアツのものを美味しくいただくのもいい、端午の節句だけがカシワ餅の季節ではないと思います

 俳句の世界では栗は夏の季語のようですが実がなりこれを食しはじめるのは秋、美味しいものに季節はあまり関係ないのかも

2010年10月2日土曜日


瓜食めば 子どもも思ほゆ 栗食めば まして思はゆー(5・802山上憶良)
うりはめば こどもおもゆ くりはめば ましてしのはゆー
 銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも
 しろがねもくがねもたまもなにせむにまされるたからこにしかめやも

瓜を食べれば食べさせてやりたいと子供のことが思い出される、栗を食べるとなおさらだ、子どもがまぶたに浮かんで眠れない。

栗の語源は黒実(くろみ)が変化したといわれている、日本栗(柴栗)をさして栗と呼んでいるヨーロッパの種とは大きさが異なる小ぶりのもので日本全国に自生している。栗は雌雄同株といって一本の木に雌花と雄花が咲く、雌花は雄花ぼど目立たずあのようなイガイガ(殻斗)の実になるとは連想できない。
 日本産の栗は皮が固く渋みがあり小ぶりのものが多いが鹿児島の三原山栗は粒が大きいそうである、中国産の甘栗は渋皮が簡単にむけるのが特徴でヨーロッパ産は粒が大きい、栗の皮に含まれるタンニンは抗酸化作用が強く老化防止に効果があり癌にも効能があるとされている、実にはビタミンCやEなどを豊富に含んでいる。
 秋の木の実の代表である栗、栃はイガがあったり灰汁があるからこそ食するとそのありがたさが一層増すもので、栗は餡にしても餡でくるんでもおいしくその食べ方はさまざま、最近、栗を餡で包みさらに表面に黒糖のくずをかけたお菓子をいただいた、小豆と栗を使ったお菓子にこだわるお店は結構あるが近頃は材料の原産地や添加物についてこだわる方が多いようですが、日本産にこだわる必要がどこにあるのかと思う、生産者が丹精をこめ身体にいいものを生産すればそれで問題はない、安くて身体に悪いものを含有する品物を平気で生産して販売しようとする側に問題がある日本人はすでに何十年も前に気が付き改善をしてきた。
 こだわりを持つ「身土不二」をモットーとする老舗も最近は賞味期限に苦労しているようです、
 日本は華やかな実働部隊を重視してきましたがこれは最大の欠点、物流と後方支援がもっとも重要。工場や農場でおいしく日持ちのするものを生産し短時間で顧客のもとに搬送することができれば、営業は他の店と楽に競争できる、経営者モドキも為政者仮面もこれに気づくと本物である