2010年12月1日水曜日

ぬばたま


ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の 降るにや来ますここだ恋ふれば(16・3805)

漆黒の黒髪も濡らして淡雪が降っているのにいらしたのでしょうか。私がこれほどまでにお慕いしていましたので

ぬばたま、ヒオウギの種子。直径5ミリの黒い種子で黒や夜の枕詞としてつかわれることが多い
ヌバタマの黒髪、綺麗に櫛でとかれた漆黒の女性の髪

人を思うということは暑さ寒さは関係ないようである、雪が降ろうが豪雨であろうが支障とならないようですが深草少将は風邪には勝てなかった100日の間妙齢の美人の所に通えば心を許しましょうと言われ通い続けること99日100日目に風邪をひき高熱のため寝込み通えなかった、100日の恋は成就しなかったそうである。
99日何事もなく経過したのに最後の1日彼に災いが起こった彼女はなぜ彼のもとに行かなかったのか、山科から伏見までそれほど遠くない、思いやりと愛があればもっと良い話に発展していたのでは!!

栄福堂という和菓子屋さんの焼き菓子に「想いやり」という饅頭があり形がハートで甘みはおさえめで、甘いのが苦手な方にもいいと思う、1つから買えお値段も手ごろでした。包み紙は千代紙風で食べながら折り鶴を折ってみて楽しむ方法もある。おやつにはちょうどいい大きさだが彼氏と彼女が食べるなら半分づつでもOKである。

バレンタインデーやホワイトデーにどうでしょうか彼も彼女も心に残るお菓子になる

2010年11月28日日曜日

マユミ1


南淵の細川山に立つ檀弓束 纒くまで人に知らえじ

檀(まゆみ)別名ヤマニシキギ、日本・中国に自生する雌雄異株の落葉の低木とされているが樹は結構高くなる、花は初夏に咲き果実は秋、実の色は品種により白・薄紅・農紅と異なる果実は熟すると果皮が割れ種子が現れる、市販のマユミは雌木がほとんどであるが雌木1本だけで果実がなる、水分条件と剪定に注意すれば害虫に強いので庭に植えるのに適している、秋や初冬にメジロやヒヨドリが実を食べるが種子の脂肪油には下痢、吐き気、筋肉の麻痺を引き起こす成分が含まれヒヨドリやメジロが大量に果実を食べると飛べなくなり凍死することがある。

新芽は山菜として天麩羅、おひたしにされるので庭に植えて楽しまれる方もある、樹はよくしなり強いことから弓の材料とされていた古くは和紙の材料にされた。

生薬としてつかわれ合歓皮(ごうかんひ)衛(えい)矛(ぼう)とよばれ樹皮や種子がつかわれるが強い毒性と神経麻痺をおこす成分を含むので素人が安易に用いるには注意が必要、打ち身、便秘に効能があり蚤やシラミには煎じ汁が効くそうである。

2010年11月27日土曜日

栗2


松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等八子
松返りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ奴(9・1783)

鈍感な人でもないでしょうに、京に行ったまま私の所には来もしないで、麻呂という人は。まったく、もう・・・

栗の花は四月に咲きますが実は秋になります、三栗とはイガの中には栗の実が三つあることからの表現ですぐ後に続く中を導く語

旧暦の10月になると和菓子のお店には「亥の子餅」なるものがあらわれる、お店によると由来は源氏物語と説明書きがあるがこれは光源氏が紫と暮らし始めた二日目の夜に亥の子餅がだされたとあり、子孫繁栄の縁起にちなみこの時期に食べられるようになったとある、元は神功皇后の三韓出兵で筑紫に還啓された皇后は後の応神天皇を出産されたが香阪(かごさか)王子と忍熊(おしくま)王子が生まれた皇太子を討とうと決起、香阪の王子は能勢の山中で戦の吉凶を占う祈狩(うけがり)中に大きな猪に襲われ死亡した、これを知った忍熊王子はこの事を聞き敗走し瀬田で討ち死にした。後に応神天皇はこの事を知り能勢の住民に10月の亥の日に亥の子餅を納めるように命じたとされている。応神天皇の敵である異母兄弟を討ちとった猪の出現は天皇にとっては吉であった、宮中では献上された亥の子餅を官位により色と包み紙を別け下賜した。亥の子餅を献上する役人は猪子役人と呼ばれ当番の者が御所に出向きまた納められた餅は餅箱にして100~150であったそうで納める側の能勢の住民にとってはもち米、栗、小豆の調達に苦労をしたと思われる。
 亥の子餅は別々に蒸したもち米と小豆を挺桶(ねりおけ)でこねつけて淡紅色に仕上げ別に煮た小豆の餡を流しかけ栗の実を並べ熊笹の葉で覆い献上された。餅は猪肉、栗は猪の骨、笹は牙を模している。
後に室町幕府や徳川幕府も年中行事として亥の子祝いと称し大名・役人の登城する日・時刻、退出する時刻まで決めさらには城内のかがり火は釣瓶式の大篝火とまで定められた。
10月朔日に亥の子餅(幕府では鳥の子餅と称した)を拝領した大名や役人はこの日に囲炉裏開きをし炉で鍋を焼き火鉢に火を盛る習慣となった。
 茶道では11月に風炉から炉に変え釜を鎖で吊るして茶事を行うが江戸時代のこの風習が起源ではないだろうか。
亥の子餅は京菓子とされているが本来は摂津の能勢で作られ献上されていたものでありその形、色は決められていた、現在では亥と焼き印が押された煎餅状のものや饅頭もありそれぞれの店で工夫を凝らし味だけでなく目でも楽しめる。
亥の子餅は源氏物語による言い伝えではなく古事に由来し栗は猪の骨であるそうだと説明できる和菓子屋さんは少ない。
この餅、大きさは市販の子餅を少し小さくした程度であるが2個もとめると牛丼1杯より高い、一口でいただく方もあるかもしれないが小腹が空いたからとか昼食前に空腹を満たすためにパクリといただくようなことはしないでいただきたい2個で牛丼1杯半でまだおつりがありますから、上品にいただいてくださいと言いませんが美味しくいただきましょう。
淡紅色の餅を猪の肉にみたてるところは羊の肉を羊羹にみたてたところとあうのは日本人の発想の豊かなところにあると思う、餅をいただくときにはこのウンチクを忘れてゆっくり味わいましょう。

2010年11月25日木曜日

紅葉2


めづらしとわが思ふ君は秋山の 初黄葉に似てこそありけれ(8・1584長忌寸娘)
なつかしく存じ上げるあなたは、秋山のはつもみちに似て初々しく匂やかでいらしゃいますね。

春や秋の山を詠ったものは長歌を含み結構ある万葉の当時は紅葉を黄葉と表記し楓(カエデ)の表現は少ない。

言葉の表現で秋を端的に言い表したのが「小さな秋」がある、小さい冬・小さい夏・小さい春と詠われることはほとんどない、暑い夏から心地よい涼しさが眠気を誘う小春日和という陰暦十月の表現も生まれたのではないでしょうか。

秋といえば黄色いイチョウや紅色のモミジをかたどったものを抹茶色の羊羹の上に置いて透明の寒天を流し込むと苔むした庭に舞う小さな秋が目のごちそうにそして暖かい飲みごろのお茶を淹れて出された器を手にするとほっとする暖かさの感覚が手に伝わり、それをいただくと五臓六腑にしみわたる温かさ、抹茶でも煎茶・紅茶でもいいコーヒーも温かいものなら、これからはおもてなしとしては心のこもったもの。

茶樹は帰化植物のひとつであるそして黄色く色づいて秋を思わせる公孫樹もそうである日本の気候・風土に応じたものであることは間違いない。

暑くなったり寒くなると風邪が流行るが、庶民がお茶を飲用するようになりはじめたころお茶問屋の丁稚に流行り病なしと云われるようになり既成事実からお茶の殺菌効果を知った昔の人は茶ガラを部屋にまいて掃除をしたり高価な煎茶は天日干しをし炒ってフリカケにして恵である成分や栄養をすべていただいていたそうである。

2010年11月17日水曜日

蓼2


みてぐらを奈良より出でて水蓼穂積に至り鳥網張る、坂手を過ぎ、石走る、神なび山に朝宮に仕は奉りて吉野へと入ります見れば古思ほゆ

水蓼(みづたで)水辺に生える蓼、生薬ではヤナギタデのことを言い水蓼(スイリョウ)と呼ぶ。
八穂蓼(やほだて)となると沢山の穂がついたタデという意味になる
鳥網(となみ)、坂手(さかて)、石(いわ)、朝宮(あさみや)、古(いにしえ)

奈良を出て、穂積(ほづみ)に至って坂手(さかて)を過ぎて、神なび山の朝宮(あさみや)を奉りし吉野に入っていらっしゃるのを見ると昔の事を思い起こします

奈良、穂積、坂手、神なび山、奈良の地名

持統天皇のことを詠んだ歌とされているが詠み人知らず

タデ科の一種に櫻蓼(サクラタデ)がある淡紅色の花が咲くものと白色の花が咲くものがある、これも食あたり、虫刺されの生薬とされ珍重されてきた。

蓼味噌
 タデの若葉、花茎をよく水洗いし細かく刻んでおき、すり鉢に味噌を入れ刻んでおいたタデを入れよくアタリ出汁を少量(好みの量)加えさらによくアタルとタデ味噌ができる。刺身蒟蒻のたれや酢味噌和え・サラダのソースによくあう和風のソースである大人の味を好むならいろいろと量を変えチャレンジしてみるべし。

2010年11月15日月曜日

しゅうかいどう



伊藤左千夫 左千夫歌集 から
秋海棠のさはに咲きたる背戸山に米とぐ女の児手白足白

朝顔は都の少女秋海棠はひなの少女か秋海棠吾は

秋海棠、ベゴニア属の多年生草本で球根植物、原産地は中国山東省・マレー半島で江戸時代に日本に持ち込まれた帰化植物である、松尾芭蕉は花の色を見て西瓜色と句を詠んでいるが花の色は淡いピンク、濃いピンク、白があり観賞用として品種改良がされ、耐寒性が高く直射日光を嫌い明るいところをを好むので木の下草として庭に植えられることが多い。
貝原益軒の大和本草に中国名も秋海棠で音読みでシュウカイドウと言い瓔珞草(ヨウラクソウ)とも呼ばれる。
全草に殺菌作用のあるシュウ酸を含み茎・葉を生のまますり潰しかゆみのある皮膚疾患(水虫・タムシ)の患部に直接塗布すると効果があるそうで一時的な措置に庭の草を刈り用いた、葉を食べた方があり酸っぱいと感想を記している書物もある。

2010年11月14日日曜日

蓼 1


わが屋戸の穂蓼古幹採み生し 実になるまでに君をし待たむ(11・2759)
わがやどのほたでふるからつみおほし みになるまでにきみをしまたむ

我が家の蓼の古い茎から穂を摘んで新芽を出させ、それがまた実になるまであなたを待っているでしょう

蓼(たで)、タデ科タデ属の一年草、ヤナギタデ、イヌタデ、ベニタデ、アオタデ、など種類は多くが全国いたるところに自生する

蓼は奈良時代には大豆や海藻に並ぶ大事な食品であったが貴族や上級役人あたりは薬味、生薬としての効能よりもどくとくの辛みからどこにでもある気にもとめない植物扱いをしていたようであるが、庶民にとっては一度に全草を摘まず脇芽をのばして日々食用とした大切な植物のひとつであった。蓼食う虫も好き好きという諺があるが蓼のもつ辛みと身体に良い成分に対し大変失礼な表現である。

(原文)小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼
(読み)童ども 草はな刈りそ 八穂蓼を 穂積の朝臣が 腋草を刈れ(16・3842平群朝臣)
(意味)子供たちよ草を刈らないで穂積の朝臣の臭い脇毛を刈りなさい
これは彼の子孫としては大変恥ずかしい詩ではないでしょうか、仲の良い友人をからかったつもりでしょうが数百年というか万葉歌が語り伝えられる限り残る、ユーモアととれるか際どいところで、賢明な歌人は詠み人知らずとなるようにしている、東歌や詠み人知らずの恋詩のほうが蓼も喜ぶ

柳蓼の葉をすりつぶして酢でのばしたタデ酢は鮎の塩焼きに添えられる。タデの辛み成分はポリゴシアールと呼ばれるセスキテルペン・ジアルデヒドで昆虫の摂食阻害作用や抗菌作用がありタデオナールとも呼ばれている。ヨーロッパでは柳蓼の実を胡椒の代用としてつかわれるようで果実の辛みも捨てがたいものがあるようです。
タデ食う虫も好き好きというが辛みの強い蓼を食べる虫もあるということは有害なものを含んでいないということで適度に食べることは良いことではないでしょうか
柳蓼の成分は血液の凝固促進、血圧降下作用があり消炎、利尿、下痢止め、解熱、虫さされ、食あたり、暑気あたりに効果があるということで民間薬として重宝されてきた、暑気あたりには茎と葉をすりつぶし同量のオロシショウガを混ぜて服用すると夏バテ防止に良いそうでです、痛みのある腫れものには生の葉をもんで塗布すると痛みが治まるそうで応急的な痛み止めには効果がある。
ネパールでは葉を砕いて川に流し魚をとるそうである、また葉は黄色の染料ともなるらしい。 

2010年11月13日土曜日

宮材


宮材引く 泉の杣に 立つ民の 休む時なく 恋ひ渡るかも(11・2645)
宮材を引き出す泉の杣の役民のように休む時もなく恋し続けることだよ

宮材(みやぎ)、東大寺、大安寺、薬師寺などを造営するための木材
泉、泉木津(京都府南部)
杣(そま)、筏あるいは筏を組んで川を下る船頭や小連関連する作業をするものを表現しているよう
立つ民、労働を課せられた庶民、役民ともいう

宮材はスギや松、ヒノキなどをあらわしている
平城京のお祭り終わりました、奈良には上宮王(厩戸皇子)後に聖徳太子よばれた為政者達が造営した木造建築物が多数残されている、解体修理や改修すると当時の木材は薄く鉋をかけるとまだまだ使用できるものがたくさんあるそうで現在の建造物と比較すると雲泥の差がある。日本古来の建材等を扱う職人に聞くとその土地で採れた物を家屋に使用するのが一番だそうです。
赤道直下の安い材を輸入し数十年手塩にかけた国内の材に見むきもしない民はやがて西安や洛陽の民が松や杉に食指を伸ばしていることに気付かずにいる日出国の民はいつから日入る国の民と同等に対話するのを忘れてしまったのか!

2010年11月12日金曜日

紅葉


黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色付く見れば(10・2202)
紅葉する時になったのでしょう 月の中の桂の枝が色づいたのを見ると

黄場、もみじ
月人、つきひと、中国では月を擬人化し月人(つきひと)、月人壮士(つきひとをとこ)、月読壮士(つくよみをとこ)などと読んでいた。
桂、キンモクセイの仲間で原文には楓(ふう)となっている

この時期、たまに紅葉の天麩羅が話題になる初めて食べた記憶は鮮明に残るようですが、食べられることに気付き工夫を重ねた先人の知恵はすばらしいが食に関心がなければ「アッソー紅葉の天麩羅を食べたの」という反応が返ってくる。紅葉の天麩羅、能勢や京都の神護寺など各地にあるようです

キク科の植物でモミジガサという観賞用の植物があるがこれを庭木の下草として植えておき4月から7月に若葉や茎を採取し乾燥させて保存し煎服するといいと聞いたことがある。喘息の生薬らしいが若葉はそのまま汁物にいれ煮て食べてもよいそうである。

錦織なす山は紅葉の季節をあらわす表現であるそうで、山が笑うと春の山だそうです

季節を色で表現すれば秋は黄色と朱そして茶色わずかに濃い緑となるようでこれを錦秋(きんしゅう)と言うようです、春は鶯色と桃の花の淡いピンクであるかも
 形であらわしたのはやはり紅葉饅頭か栗饅頭、最近は栗を入れた栗コロッケなるものも店頭に現れ秋の商品はあらゆるところに。

2010年11月11日木曜日


恋草を 力車に 七車 積みて恋ふらく 我が心から(4・694広河王女)
こひくさをちからくるまにななくるまつみてこいふらくわがこころから

恋草をつから車に幾台も積むほどおびただしくあなたを恋するのも 私の心からわき出るものなのよ

恋草、地中から萌え出で生い茂る草の勢いと溢れ出る恋心を喩えたもの

広河王女(ひろかわのおほきみ)は穂積親王の孫で無位から従五位に叙せられた人物

力車、租庸調の税のほか贄(にえ)とよばれる天皇のための食物を積み運んだ運搬用の荷車

現在、力車を検索すると人力車がアップされ荷車は現代人の脳裏から消えさっている、七車とは沢山のとかこんなにという喩えであると思われる。今風なら10トンの貨物車7台位ということになるのか、恋草と詠われた季節は秋だそうで春や夏のように熱くなる心でなく冷静に相手のことを思い悩んだ末の気持ちを詠い熱き心を女性から打明けられ相手はさぞときめいたことだと思う

2010年11月7日日曜日

をち水


我が手本 枕かむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪生ひにたり(4627)
わがてもと まかむとおもはむ ますらをは をちみずもとめて しらがおひにたり
私の手を枕にして寝たいと思っていらっしゃる赤麻呂さんは、若返りの水を求めていらっしゃい。白髪が生えていますよ。

白髪生ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めて行かむ(4・628佐伯赤麻呂)
しらかおふる ことてゃおもはず をちみずは かにもかくにも もとめていかむ
白髪が生えていることは、何とも思いません。若返りの水は、何としても求めに行きましょう。

昇任試験の面接で面接官が「君の部下の女性が髪を染めたら君はどうする」と質問されたそうですが貴方ならどう答えますか。
私なら即答はせずしばらく沈黙し、面接官を右から左、左から右に見て「その時でなければわかりませんが男性で白髪を染めている方も大勢いらっしゃいますので」と答えると思います。オシャレと自己主張は異なる、市役所の市民課等や警察の運転免許課に行った際に働いている方の三分の一以上の御髪が白いと訪れた市民は明るい役所だと思うだろうか、また百貨店で白髪の店員さんが大勢いるとどうでしょう、女性が髪を染めれて出勤すれば問題でおじさんが白髪を染めて出勤すれば問題なしはおかしい。御髪のさみしい方はノイローゼになることもあるようで植毛をしてでもと必死になっている老若男女からすると呑気な会社ですねと切り返しがあるかも

ある大手企業の関連会社に中卒でベルバラやアニメのお姫様スタイルが大好きな金髪の女性が働いていると聞いたことがありますが仕事中は金髪でもなくアニメのお人形のような服装でもないのでまったく違和感がないそうで、白髪のおじさんやおばさんが何を好むのか茶髪の若者が今何を求めているのかを敏感にキャッチし実績は経験の豊富なおじさんやおばさんを追い抜き常にトップで現在はその企業の役員になっているそうです。
この女性、仕事中は地方の方言丸出しで働いているそうですし仕事が終われば鬘を脱いで街の中に消えていくそうです少しぐらい髪を染めているからと目を三角や四角してどうする
 仕事に対する打ち込み方と髪の色は比例はしない、ある公立高校の吹奏楽部、茶髪やダボダボのズボン、ロングのスカート・超ミニスカートで駄目クラブと他校に評価されていたそうですがいざ普門館となると統制のとれた行動と楽器・道具の整頓あるいは控室前の靴の揃え方は高く評価されているそうで偏差値の高い進学校の教師が見ると恥ずかしいくらい行儀がいいそうです。ちなみに普門館の常連校は顧問や教師が指示する前に部員が先輩の行動を見て自然に合理的な行動をとるそうで体質的には体育会系のクラブであると言える。
白髪のおじさん・おばさんが目立つ会社や役所がいいのか茶髪のお姉さんが大勢いるお店が駄目なのかより仕事や目標に向かっている心と日ごろの行動ではないかと思わされる

2010年11月6日土曜日

嵯峨菊


海原の 遠き渡りを風流士の 遊ぶを見むとなづさひぞ来し(6・1016)
海原のはるか遠くから、風流な人たちの遊ぶのを見ようと苦労してやって来たのだ

風流士(みやびを)趣を理解する洗練された感覚を持つ人とでもいうのか

万葉集には風流士の言葉が見られるが野暮な凡人では理解できないことを楽しんでいいる、この歌は蓬莱からの仙女をあらわす袋鬘を壁に飾り粋な集いを楽しんでいるものでただ酒を飲み飲めないものは飲めばいつか酒に強くなるのだというような野暮天な宴会馬鹿には理解できない催しを詠っている。

壁のフクロカズラがカラスウリかカズラであるかは問題でないので宴席で壁の飾りが鬘ですなというような程度の教養では裸の王様と同じということだそうで下戸には思いやりをもち楽しく過ぎゆく季節を堪能するのが粋な人である。

嵯峨の大覚寺には大沢池があり中秋の名月を楽しみ翌月は芋名月を堪能し羽織物が一枚ほしいこのごろは菊が美しい特に嵯峨菊は見ものである、菊の時期が過ぎると紅葉である散紅葉はどこで見ても美しいものであるが景色の移り変わりを同じ所で楽しむのもまたいいものである。

よく一度、訪れたところは前に行ったからという方もあるが景色にしても博物館にしても何度も訪れてみるもの物の見方が変わり発見があるものである。

菊を詠った万葉歌はないようです

2010年10月27日水曜日

アケビ



狭野方は実にならずとも花のみに 咲きて見えこそ恋の慰に(10・1928)
さのかたは実らずとも花だ けさは咲いた姿を見せてほしいものです。恋に苦しむ心の慰めに。

狭野方(さのかた):あけび、つる性の落葉樹で雌雄同株でしかも雌雄異花。実が熟すると口が開いたようになりこれから「開け実」となり変化し「あけび」となった。
 茎の部分が生薬として使用され薬名は木通。実の種を包むゼリー状のところに甘みがある。種からは食用油を採取することもできるが最近ではあまり聞かない。
 果実の皮は大人が好む苦味があり、茎、実、種とも有効利用できる果物である。
 アケビ科の実は古来から朝廷への献上物とされたいたら朝廷は開いた実を嫌い熟していないものかアケビ科ムベ属のムベ(郁子)を望んだ。
 アケビの茎には利尿作用と抗炎症作用がある、中国ではアケビとは別の種属である関木通(ウマノスズクサ属)を木通と称して販売しているところもあるそうですがこれには腎臓障害を起こすアリストロキア酸が含まれ注意が必要である。

 ところで上の歌の返歌は
狭野方は実になりにしを今わらに春雨降りて花咲かめやも(10・1929)
今さら春雨が降って花が咲くことなどありましょうか。
である。
 紫色の果皮は美しい女性に似合うのかもしれない着こなせばしっとりとした雰囲気が醸し出されるかも
 アケビのつるで編んだ籠に花を摘み、お茶をいただき季節を楽しむのも和むものです。

 

2010年10月11日月曜日


八千草尓 久佐奇乎宇恵弓 等伎其等尓 佐加牟波奈乎之 見都追思努波奈
八千草に 草木を植えて 時ごとに 咲かむ花をし 見つつ偲はな(大伴家持)
いろいろな種類の草木を植えて、季節ごとに咲く花を見て楽しみましょう

万葉集には日本古来の植物から外来種のものまでたくさんの花が詠われたいますが植物の名をあげずに詠まれている歌も多く、また、造語も結構あるようで大伴家持は表現するのにふさわしい言葉がなければ造ればよいと「秋風」という言葉を作っている、季語にこだわることのない和歌はいつ詠まれたのかと想像すると楽しい

季節を現すのが植物ですが八百屋や果物店をのぞくと旬のものが並びお菓子屋さんの前を通ると季節を感じさせる銘のものが目立つのが食欲の秋、この季節の代表である栗も製造工程で名前は変わる「小栗」「渋栗」「栗大福」「栗羊羹」「栗きんとん」また商品名も「ひらがな」「漢字」「ローマ字」と様々、これに写真やイラストが加わると無数といっていいほど種類は多くなる。これまでにいただいた栗のお菓子でこれはお土産にと思って物に栗を蒸しそれを粉にして和三盆を加えて型で固めた干菓子がありましたが季節限定のものとなると仙太郎の渋栗が手間暇がかかる商品であるが味はシンプルであるのに美味しかった。

栗名月、芋名月を楽しんだのが昔の日本人である、お菓子屋さんで芋のお菓子が並び始めるとそろそろ満月ですねと話すとハイと笑顔でうなずかれると季節ですねと言わずとも通じるものがある、洋菓子屋さんでは芋だ栗だと言っても店員さんはうなずいてくれないが旬をあつかうお菓子屋さんならうなずくだけでなく時には一口いかがですかとお茶も出てくる、こんな時は素直にいただくべき

2010年10月9日土曜日


もみち葉の にほひは繁し 然れども 妻梨の木を 手折りかざさむ(10・2188)
もみじ葉の染まる色も様々でいっぱいあるけれども、しかしながら、私は妻無しという梨の木の枝を手折って髪飾りにしょう

万葉集に詠われる梨は山梨をさし4月に五弁の白い花が咲き若葉のそばに数個の実がなる、大きさは3cmほどのもので日本梨は堅くて不味く赤梨と青梨があり薬効がよく知られ風邪などの解熱効果や肝臓の負担を軽くする効能から貴重な果実として朝廷に納められたそうである。
日本書紀によれば梨や栗は飢饉に備えて栽培されたもので、為政者が山野に果樹を植え栽培することを奨励したことは民を飢えさせないためである。山間部では栗や栃を植えいつしか野生化した植物も数々ある。日本には茶の木は自生していなかったが四国や西日本では野生化した茶樹があるのもこうしたことからではなかったのかと思われる。

「李下不正冠」と習いましたがこの場合の李は「すもも」日本で検索をすると左のようになるが中国では「李下不整冠」となるそうでこのことわざが作られた当時まだ梨が今ほど普及していなかったからとスモモの木の高さが人の身長と同じ程度になることからつかわれるようになった、実のなる果樹ならどのような木でもよさそうであるがのどが渇いた時に食するとおいしいものはスモモであった。

 今日、紅茶を練りこんだお菓子のことをある方から尋ねられましたが味と香りを損なわずにお菓子を作り上げるのは非常に難しいようです、香りのよい紅茶となるとアールグレーとなるようで愛知県に本社のあるケーキ屋さんFLAVORにアールグレーティーケーキがあるこのお店の紅茶は子供や妊婦さんにやさしいカフェインの無いお茶がある
 妻梨の意味も理解していただければ嬉しいが

2010年10月5日火曜日


稲見の野のあから柏は時あれど 君をあが思ふ時は実無し(20・4301安宿王)
いなみののあからがしははときあれど きみをあがもふときはさねなし

稲見野のあから柏が色づく時期は決まっていますが、私が天皇を思う気持ちには全く時期はありません・

柏は広い葉をもつ木の葉の総称でホオノキ、トチノキ、アカメカシワ等を指していた。昔は九州では栽培されている柏のほかには自生しているものはなくホオノキやハナズオウやサルトリイバラのはが代用として使われるところもある。

 バショウの葉は代用というよりもカシワのないところでは同じ目的で使用されている例の一つである。
 
 古来、カシワの葉は神事に使われていたものであるが調理に用いやすいところから団子を包んで蒸すのに使用するようになったものとされている。柏は春に新芽が出るまで寒い冬も落ちずに樹についていることからつらいことがあっても頑張ろうというたとえにつかわれる。

 神社や仏閣にお参りするとミタラシ団子やあぶり餅等と同じようにカシワ餅が売られている現在も昔同様に参拝のお土産としてよく見る光景。夏は冷やして食べてもよくこれからは蒸しなおしてアツアツのものを美味しくいただくのもいい、端午の節句だけがカシワ餅の季節ではないと思います

 俳句の世界では栗は夏の季語のようですが実がなりこれを食しはじめるのは秋、美味しいものに季節はあまり関係ないのかも

2010年10月2日土曜日


瓜食めば 子どもも思ほゆ 栗食めば まして思はゆー(5・802山上憶良)
うりはめば こどもおもゆ くりはめば ましてしのはゆー
 銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも
 しろがねもくがねもたまもなにせむにまされるたからこにしかめやも

瓜を食べれば食べさせてやりたいと子供のことが思い出される、栗を食べるとなおさらだ、子どもがまぶたに浮かんで眠れない。

栗の語源は黒実(くろみ)が変化したといわれている、日本栗(柴栗)をさして栗と呼んでいるヨーロッパの種とは大きさが異なる小ぶりのもので日本全国に自生している。栗は雌雄同株といって一本の木に雌花と雄花が咲く、雌花は雄花ぼど目立たずあのようなイガイガ(殻斗)の実になるとは連想できない。
 日本産の栗は皮が固く渋みがあり小ぶりのものが多いが鹿児島の三原山栗は粒が大きいそうである、中国産の甘栗は渋皮が簡単にむけるのが特徴でヨーロッパ産は粒が大きい、栗の皮に含まれるタンニンは抗酸化作用が強く老化防止に効果があり癌にも効能があるとされている、実にはビタミンCやEなどを豊富に含んでいる。
 秋の木の実の代表である栗、栃はイガがあったり灰汁があるからこそ食するとそのありがたさが一層増すもので、栗は餡にしても餡でくるんでもおいしくその食べ方はさまざま、最近、栗を餡で包みさらに表面に黒糖のくずをかけたお菓子をいただいた、小豆と栗を使ったお菓子にこだわるお店は結構あるが近頃は材料の原産地や添加物についてこだわる方が多いようですが、日本産にこだわる必要がどこにあるのかと思う、生産者が丹精をこめ身体にいいものを生産すればそれで問題はない、安くて身体に悪いものを含有する品物を平気で生産して販売しようとする側に問題がある日本人はすでに何十年も前に気が付き改善をしてきた。
 こだわりを持つ「身土不二」をモットーとする老舗も最近は賞味期限に苦労しているようです、
 日本は華やかな実働部隊を重視してきましたがこれは最大の欠点、物流と後方支援がもっとも重要。工場や農場でおいしく日持ちのするものを生産し短時間で顧客のもとに搬送することができれば、営業は他の店と楽に競争できる、経営者モドキも為政者仮面もこれに気づくと本物である

2010年9月27日月曜日

おもいぐさ


道の辺の 尾花が下の思い草 今さらさらに何をか思はむ(10・2270)
道の辺の尾花の下のおもいぐさのように、今さらあらためて何を思いましょうか

おもいぐさ、ナンバンギセル(ハマウツボ科)ススキなどの根に寄生する一年生の寄生植物、日本原産であるが17世紀にタバコが渡来し喫煙具の煙管に似ていることからナンバンギセルといわれるようななった。
ナンバンギセルは葉緑素をもたず光合成ができないことからイネ科の植物に寄生し養分をとりながら生育する。
野に咲く思い草は人に例えれば一人ではどうすることもできない事情をかかえもの思いをしている女性に例えられるようです。

生薬名を野菰(のこ)といい秋に全草を刈り取り天日で乾燥させたものを少量煎じて飲用すると喉によく強壮作用もあるらしい。栽培するには秋に種を採取しイネ科の植物の根基に蒔くか液肥をたびたび散布し西日をさけて栽培するとよいそうです。 
 花は白い花びらに額の部分と周りが淡いピンクで可憐な感じがするがナンバンギセルではお菓子の銘に合わないのか思い草なら秋の風情に合うと思うもののまだこの花に合うお菓子に出会っていない。

2010年9月26日日曜日

月夜


萩の花 咲きのををりを 見よとかも 月夜の清き 恋増さらくに(10・2228)
萩の花が咲き乱れているのを、見よとでも言うのか、月がさやかだ。萩の花への恋が増さってしまうのに

この歌は9月17日に詠まれた、満月まで5~6日の月も美しかったのなら今日から2~3日の間の月も奇麗なはずである季節を楽しむなら雨で月見ができないと暗くならずにあの辺りの雲の先に月が輝いていると月見をするのも粋な月見だそうで月が出る時刻が日一日と遅くなると今か今かとときめきながら待つのも良いものである。
 中秋の名月が近づくとお菓子屋の店頭には月を連想するお菓子が並びます、形は色々ですが兎を思わせるものや満月を連想する白い饅頭が多いなか鶴屋吉信で嵯峨野という饅頭があると聞いたことがあります、嵯峨野は多くの歌人や都人が名月をめでたところ、月見イコール嵯峨野であるならなるほどとうなつける、卵黄を加えたしぐれ生地に焼印でススキを描くと中秋の月見にピッタリのお菓子と納得できる、白い薯蕷饅頭の兎を思わせるお饅頭も塩瀬のうさぎ饅頭と同じくおとぎ話を思わせる。
 秋もこの頃になると葛を使ったお菓子の色も色づいてくる、砂糖がぜいたく品であった頃は黒糖の味と色で暖かさをごちそうとしたようですが紅茶やほうじ茶で風味と色をつけ甘味料を加えて湯気が上がらない程度の温かさの御馳走もいいものと思います。

2010年9月25日土曜日

彼岸花


道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は(11・2480)

道の辺に咲いているいちしの花は、はっきりと人の目につく。私の恋しい妻のことも、その花のようにもう人々に知れ渡ってしまった。

いちし、彼岸花のことで多年草の帰化植物である、天上に咲く花といわれている曼珠沙崋、「イチジバナ」「イチシセン」「手腐れ花」「舌曲り」「花見ず花見ず」「仏花」「狐花」「狐簪」など20近い呼び方がある。

彼岸花は全草に毒を含み球根にはアルカロイド系のリコリンが含まれ生で食べると下痢や吐き気を催しまた神経麻痺を起すが、漢方では石蒜(せきさん)といい球根をすりつぶし小麦粉を入れて軟膏状に練りタムシや水虫の初期の湿布薬として用いられたようです。
毒性の強い植物ですが人の知恵と経験は素晴らしく特別な処理をすれば食用となるようで飢饉の時には球根を掘り出し飢えをしのいだということです、これは海の貽貝という貝を普段は採らずに食用になるものがつきたときに採取していたものと同じであると思われる、採取や処理に手間のかかるものは非常の際以外は手をつけないのが自然の恵みに対する昔の人の考え方。 

花は燃えるような朱が目立つが白い花や黄色い花もある、

お彼岸と言えばオハギあるいはボタモチですがもち米を蒸して俵状にニギリ漉し餡や粒餡をしっかりと塗りつけるようにするが所が変われば餡を包むように握るところもある、コンビニで販売されたいるおにぎりは三角ですが三角のオハギはない、俵は大黒様であり大国主命につながる、昔の商家では商売繁盛、家内安全ということを願いお握りは俵型であったと聞いたことがある、三角に結ぶ場合は、穢れを払う法事、通夜、葬儀などの行事に限られていたようです。

月見団子も所により違うようで関西ではお団子を餡でくるみますが関東は白いお団子であると聞きました、最近はお月見団子ならぬ月見饅頭はウサギの型をしていたりお団子に黒蜜やニッキをまぶしたりで店頭のお菓子を見て歩くのも楽しい、栗名月、芋名月楽しむのはどちらの名月でも9月と10月はお月見を楽しみましょう。 

2010年9月22日水曜日

石榴


夏まけて 咲きたるはねず ひさかたの 雨うち降らば うつろひなむか(8・1485大友家持)

夏がちかづいて咲いたはねずの花は、雨がちょっと降ったりすると、せっかくの色もあせて散ってしまいはしないだろうか

ザクロは、鬼子母神が好む果物、遣唐使によって伝えられたといわれているが「はねず」がザクロであるのか庭梅であるのか芙蓉なのか諸説ある、ザクロの果皮には下痢止めの効果と腸炎に薬効があるそうです、樹皮や果実にはタンニンが多く含まれているので生薬として服用するには注意が必要。
 
 石榴のジュースをいただいたことがある、色は果実と同じで透き通るようなきれいな色、ケーキの色付けや風味づけにつかわれるわけがよくわかる、アフガニスタンでは種なしのザクロがあるそうでまた、品種改良され果実の大きなもの、花を楽しむものなどがある。

 鬼子母神の神紋がザクロである理由は諸説ありますが子供が授かりますようにとか安産でありますようにという、子供が授からない夫婦の拙なる思いと懐妊すれば苦しむことなくお産ができますようにとの願いが込められている。
 日本神話に登場する伊耶那美はいく人かの子供を産んだのち火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生む際に大変な難産であったそうですお産の苦しみは神様もよくご存じのことですが苦しみは軽いほうがよいですね
 
 

2010年9月21日火曜日


ま葛延ふ 夏野の繁く かく恋ひば まこと我が命 常ならめやも(10・1985)
まくずはふ なつののしげく かくこひば まことわがいのち つねならやめも

葛が旺盛に這い広がる夏野のように、こんなにあなたを恋していたら、ほんとうに私の命はいつまでもつだろうか

葛、生薬名は葛根(かつこん)山野のみならず日本全国いたるところに自生しており栽培する際は芽出し直前に古い根を掘り出し庭先などに植える。夏に紫色の花が咲く、秋に根を採取し発熱や解熱薬として使用した、風邪薬としてだけでなく口の渇きや吐き気にも効果があるそうで、抹茶やユズ味の葛湯などが売られているのでこれから寒くなった時には風邪の予防のため常備されてはどうだろうか。薬としてでなく寒い日のおやつにも最適である。

葛の新芽や若葉は塩茹でをして和えものにしたり塩漬けやぬか漬けあるいはみそ漬けにして保存すると油いためなどにしていつでも食べられる、また、てんぷらにしてもよく、花は三杯酢にしたりみそ汁などの実にもいい。根から取れた葛粉は葛饅頭や羊羹等のお菓子や料理に使われるほか昔は葛の繊維で葛布が作られていたが現在は特別な儀式や行事用に作られているだけである、葛布は麻よりも光沢があり丈夫であるそうです、化学繊維を作る技術とバイオテクノロジーで同じようなものを安価に作ることができないものかと思ってみたりもしますが自然の繊維の優しさは科学に力ではきないのかもしれません。

ケーキなどには葛はあまり使われていないようで和菓子に葛を使うことを見つけた日本人はたいしたもの。葛、寒天、凍み豆腐は日本の食の文化である。 
 今日は空海、弘法大師の祥月命日でそして明日は中秋の名月、葛の話ではないですが毎月20日21日22日の3日だけ東寺に納めるお菓子が西本願寺の南西角の笹屋伊織の店頭に並ぶ「どら焼き」これは世間で言うどら焼きと少し異なる、丸い筒状の外郎を蒸したようなものの中に小豆餡がある筒状のお菓子。竹の皮でつつんで販売しえいる、以前、饅頭や今川焼などどこにでもあるような名前のお菓子を土産にすると「どにでもある饅頭」という常識のない人にこの笹屋伊織の「どら焼き」を土産として渡し何かと尋ねたので「どら焼き」と答えると「フンどら焼き」と鼻であしらうように馬鹿にされたことがあります、このお菓子は東寺で修業をする僧侶が脚気等にならないように何か良いものはないかと作られ、弘法大師の祥月命日に東寺に納められたもので前後3日だけ販売される1日や10日あるいは24日に求めても店頭にはない、遠方からこのお店に行かなければ買えないものをたまたま販売している日に店頭で見かけて購入したものと知らず「フン」とあしらわれると相当気分が悪くなる、お菓子についての知識がなくても何かほかに言いようがあると思う、お菓子を土産にした時の愚痴はたくさんありますがそれについてはまたいつか、明日は白玉のお団子があう日です、私の母はよく白玉のお団子を作ってくれたものです、私が妹達は風流なことや昔からの習慣はまったくしないといいますと母親が昔していたのだから知っているはずだといいますが子供の時しているのを見ていたからといっても年頃に教えておかなければその意味もわからず、あえてチクリと一言言うとお父さんが教えてくれなかったとか母は言わなかったと平気で言います、50を超えれば教える側、書店で本を購入しなくてもインターネットで検索すれば常識以上のことは調べることができる時代、うす雲、醤油饅頭、醤油羊羹、松葉などのお菓子すぐ検索すれば途中下車してお土産を買ってきたことも推測もできます、相手の思い入れはそこでわかること後でびっくりしてわび状などをしたためないようにしましょう。

 最近の葛粉は馬鈴薯から作られているものもあるようですが吉野葛は高価ですからこれも致し方のないことかも、品質や風味、食感に違いがなければいいと思いますが、片栗粉とか、ワラビ湖、葛粉の品質にこだわるとまた問題が出てくるのではないでしょうか、

2010年9月16日木曜日


秋風は涼しくなりぬ馬並めて いざ野に行かな萩の花見(10・2103)
秋風が涼しく吹くようになった。さあ、萩の花を見に、馬を連ねて野原に出かけよう

ゆくりなく今も見が欲し秋萩のしなひにあらむ妹が姿を(10・2284)
ひくりなくいまもみがほしあきはぎの しなひにあらむいもがすがたを
突然に今も見たいと思ってしまいます。秋のハギがたわむようにしなやかに美しい恋人の姿を

万葉集には萩を題材にした歌が非常に多いそうです。また、ヤマハギ、マルバハギなど10種以上の品種がある。現在では女性の美しさを例える花はたくさんあるが古の万葉人はしだれる枝のたわみを恋人の姿にだぶらせ絵画のように表現している。
ハギは枯れたように見えても毎年生えてくることから「生芽(はえぎ)」と言われていたがこれが転じてハギとなったという説があるそうです。ハギに萩の字をあてるようになったのは平安時代以降とのこと。

ハギの根はめまいやのぼせに効果があるとされ開花後、根を掘り乾燥させて煎じたものを飲用していたようです。
 ハギの種子は粉末にして粥や飯に炊きこんだり、花は吸い物の実や天ぷらにして食すると美味しいそうで、葉はお茶の代用にされている。
 
 秋の初め、杖をつき四国の山道を歩きはじめたころは歩くことと道しるべのお遍路の絵を描いた目印の案内札のみに気を取られ景色を見る暇はほとんどない、足も慣れると左右の野草や木々の花を見る余裕ができる、もっと慣れると看板に目が向くのですが、愛媛あたりを遍路していると道路沿いに「一六タルト」の看板が目立つようになる、このお菓子本来はカステラであったのが江戸時代に色々とく数を加えバターを使用することなく砂糖と卵と小麦だけでジャムを使用することなく甘さ控えめの餡に柚子で香りを加え風味をだしている。このお菓子は賞味期限が14日とながくお土産にも最適で松山市のお土産として有名である。
 餡の風味が柚子であるとかバターを使用していないのでコレステロールを気になさる方には最適、また、いただく側も材料を知れば話も少しは広がると思う。  
  

2010年9月15日水曜日

なでしこ


我がやどの なでしこの花 盛りなり 手折り手一目 見せむ児もがな(8・1496大伴家持)

撫子の花が今真っ盛りです。手折って一目見せてやれるような女の子がいたらよいのに

ナデシコ、秋の七草で多年草、河原撫子と呼ばれ別名「大和撫子」とも呼ばれるがこれは中国から渡来した石竹(せきちく)を唐撫子(からなでしこ)と呼び区別するためである。

 4~5月ごろに若葉を茹でて水に浸しアクを抜きおひたしにして食べたそうである。
 種子は利尿作用があり煎じて服用したそうである。

 今日は半月、仲秋の名月まで7日、すでにツバメは南に旅立ったようですが猛暑のせいかまだセキレイの鳴くのを聞きませんが赤とんぼは秋ですと教えてくれたいます。

 この時期になると一服の涼しさを味あわせてくれる生菓子が店頭に、白露(びゃくろ)というお菓子ですが小豆のつぶ餡を緑色のそぼろ餡で包んで、錦玉のそぼろをのせ朝露を風情したものがお茶会で出される。9月9日には菊のお菓子、月明かりを楽しむようになると葉鶏頭の彩りで季節を表わした雁来紅(がんらいこう)といお菓子も出てくる、雁が渡ってくるころに咲く花を意識して名前がつけられたこのお菓子もこし餡のお菓子、茶きん絞りで黒糖の風味も楽しめる。白露は京都御苑の南あたりのお店で雁来紅は宇治の三室戸寺あたりを散策して探してみてください

2010年9月11日土曜日

ふじばかま


萩の花 尾花 葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花(8・1538山上憶良)

フジバカマが万葉集に詠われているのはこの一首だけだそうです、花は8月から10月までながく咲いてる、同種のヒヨドリバナとよく似ているので混同されることが多いようです。
 藤袴の花は淡い紅紫色で葉のつき方と形が異なるのでよく見ればわかるそうである。
 ヒヨドリバナにはサワヒヨドリ、ヨツバヒヨドリなどがある。花は白である(たまに紫色のものもあるようです)
 
 藤袴の開花前に全草を刈り取り天日にさらして風通しの良いところで乾かす、生乾きのころからよい香りがすることから香りのない草花と一緒に床の間に飾ることがあるそうです、乾燥させた葉などは細かく刻んで鍋で煮だしてから風呂に入れる皮膚のかゆみや産前産後の浮腫によいそうである、昔は侍が臭気を防ぐために兜に詰めたり匂い袋に入れて持ち歩き洗髪の際に使用したそうです、この香りは桜餅の葉と同じクマリンの香りで肝毒性があり食品にはつかわれていない、食品にはこれに似た成分の化合物が使用されている。
 藤袴の若葉を塩茹でして汁などの実として食していたようです。

 ヒヨドリバナは火取花と言われ花の終わりに綿毛が現れるこれを集めて採火の材料としていたそうでライターなどがない当時は常時備えておく必要があった。
 藤袴の花言葉は「躊躇」「ためらい」「優しい思い出」だそうです

ほのかな香りが「優しい思い出」になるのか「躊躇」させるのか植物のもつ香りを持続させるのは大変な工夫が必要で抽出するためにウヰスキーや焼酎に漬けあるいは乾燥させたり粉末にしたり時間と労力がかかるもので、加工品を税として納めたいた庶民は自分たちの口に入らないものを手間をかけて作っていたがそのようなものを作るより粟や簸え大根や蕪を作りたかったのではないでしょうか、為政者というものは勝手なもので蕎麦、うどん等は手間がかかり贅沢だ加工に要する時間があれば働け、そば粉を湯に溶いて食べるのはよいがこねて伸ばして包丁で細く切るそばやうどんはダメといっておきながら、保存や商品として売れるのであれば素麺の製造を奨励したり、内容が変われども今も昔も代わり映えのしない政策はどうなっているのか。山田安五郎という陽明学者なら大笑いするかもしれない。
 為政者のことはもうすぐ決着するようですから静かに見ていましょう、ほのかな香りのするお菓子、最近はめったに見かけないのが福寿堂〇◎というお店に「ふくふく」というふわふわのカステラのようなお菓子があるこれはイチゴ・小豆・抹茶等の風味であったり紅茶であったりで期間限定のお菓子、最近は紅茶風味に出あっていない私はこの紅茶風味が大好きで必ず買い求める、いただいている時も食べた後も紅茶の風味が楽しめる、おやつ時に胃の中に何も残っていない状態でいただくとお腹の中から香りが鼻腔に戻ってくるようなことがある嫌みのないお茶の香りそのもの牛ではないが二度楽しめる、お店の方に紅茶でなく焙じ茶を練りこんで作れないのですかと尋ねるのですが職人さんは苦労されているようで、経営者側のブログはよくありますがこのお店職人さんのブログがあり覗くと面白い。
 藤袴のほのかな香りをまねたお菓子があればいただいてみたいですね

2010年9月10日金曜日

桔梗


朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲き増さりけれ(10・2104)
あさがほは あさつゆおひて さくといへど ゆうかげにこそ さきまさりけれ

朝顔は朝露を浴びて咲くと言うけれども、夕方の光の中でこそ、一層咲き誇っています

 朝顔、秋の七草で和歌では桔梗のこと「本草和名」などでは阿利乃比布岐(ありのひふき)阿里乃比布木(ありのひふき)と記されている。
 蟻が桔梗の紫色の花をかむと赤く変色する、蟻の蟻酸によるもので古代人の観察力はすごい、根は漢方で桔梗根と言われ咳止め等にもちいられている。カバさんがCMでうがいをしているお薬は緑茶や紅茶等の渋みのあるものが若干混ざると濃紺に変わるこの場合の表現は?
 白い花の桔梗を蟻が噛むとどうなるのか?

 桔梗は多年草である、根を採取する際は全部採取しないこと、朝に蕾がポンと咲くと言われているがまだ聞いたことがない。
 新芽や若葉はよく茹でて水にさらし、おひたし、あえもの、油炒め、煮物、天ぷらにしたり、また、漬けものにもされる。茹でたものを乾燥して保存するところもある。
 花は酢のものにされる。
 根は佃煮や天ぷらにして食べる。

 鶴屋◎〇のお菓子に外郎でつぶ餡を包んだお菓子がある、餡をのせて五か所をつまむようにして包むと餡が薄い外郎にすけて桔梗のように見える。写実的ではないが色と五弁の花弁が桔梗を連想させる。
 材料的にはミナヅキという背越しの払いにいただくお菓子と同じかもしれないが甘さと食感は異なると思う近いうちにいただきたい。
 外郎は上新粉で作られるが薄力粉で作るところもある、外郎の味を語る人は上新粉10と薄力粉10にわらび粉3の割合で外郎を作るとプリッとした食感の外郎ができるらしい、上新粉の餅餅とした食感も捨てがたいが、わらび粉とは贅沢な着眼点である、わらび粉の代わりに葛粉を使うこともあるようです。

2010年9月9日木曜日


人皆は 萩を秋と謂ふ よし我は 尾花が末を 秋と謂はむ(10・2110)
みんなは萩を見て一番秋らしさを感じると言いますが、ままよ私は尾花こそが秋の風物だと言いたい

さ雄鹿の 入野のすすき 初尾花 いつしか妹が 手を枕かむ(10・2277)
入野の初尾花のように、ういういしいあの娘の手をいつ枕にすることができるのだろうか

初尾花、穂が出たばかりのススキ、
ハダススキと詠うと皮に包まれているまだ穂として出ていないススキをいう

 ススキはイネ科の植物である
 上の歌は世間では美しい花を秋を代表するものだと言うが美しい穂を咲かせるススキがいいというユーモアを詠っている。下の歌は美しい尾花を若い女性にたとえまだ親しく話ができない憧れである状態を詠っている。尾花の語源は薄・芒(すすき)の花の形が動物の尾に似ているからと言われ「花芒(はなすすき)」ともいう。ススキは葉の状態によって変種があり「糸芒(いとすすき)」「鷹羽芒(たかはねすすき)」「縞芒(しますすき)」などがある。ススキを茅(かや)とも呼ぶことがあるが屋根を葺く草を茅といいススキだけでを指していうものではない

 仲秋の名月を栗名月、翌月の名月を芋名月と言い涼しくなった自然を楽しみ暑苦しかった夏の夜を忘れ過ごし易い秋の夜長を楽しむ風流は四季があるからこそ。芒を生けて団子を供え収穫への感謝ですがススキは稲の代わりである、団子月夜と名付けて十五夜の前後を楽しむのも心を豊かにする方法ではないでしょうか。
 スィーツが小麦で作られるケーキにとって代わる前は白玉団子が主役で、暑い夏はクルミ餡にカキ氷をかけて食べたり、寒天や蜜豆に小さな白玉団子を入れ冷やしおやつに、涼しくなるとミタラシ団子に、寒くなると善哉やあぶり餅に団子は年中食べられていたスィーツの原点である、原料の粉だけでは甘みはないが甘くしたり香ばしさを加えたり工夫をするのが人である

 十五夜には団子を十五個つみあげて供える風流団喜という団子がある、五色に色づけた餅皮でこし餡を包んだ月見団子月明かりで見るときれいに見える
 みたらし団子は黒砂糖の蜜に葛をまぜ焼くほのかに香る黒砂糖の風味は癒される
 カボチャ善哉、カボチャの餡子にお団子、黄色い餡に白いまん丸の団子、長月の夜長にピッタリ
 今日は菊の節句、唐揚げチキンの日でもあるらしい、菊のお菓子についてはまた後日に

2010年9月8日水曜日

女郎花(秋の七草の食し方)


をみなへし 咲きたる野辺を 行き巡り 君を思ひ出 たもとほり来ぬ(17・3944大伴池主)
オミナエシが咲いている野辺を行き来して、あなたを思い出しては回り道をして来ました

オミナエシはオトコエシ(男郎花)の白い花と比べ花姿が優しく女性的であることから女郎花という文字があてられたと花の由来の書に記載がある。「おみな」は女性(娘)の意味、なるべしの「へし」がつき「おみなへし」に変化したそうで「女性さえ圧倒してしまうほど美しい姿」と言うのが本来の意味。

 女郎花は「粟花(あわばな)」「粟米花(あわこめばな)」「粟黄金花(あわこがねばな)」「蒸粟(むしあわ)」

 たもとほりは、同じ所をぐるぐるまわる、行きつ戻りつするという意味

 京都府の石清水八幡宮にお参りする機会があれば松花堂庭園を訪れてみてはどうでしょうか、この庭園の隅に謡曲でおなじみの女郎花塚がある小野頼風に振られた女性を哀れみ築かれたもの少し離れたところに頼風の塚がある。容姿のみならず心まで美しかった女性であったからこそ頼風も後を追ったのでは、昨今のように刃物を振りかざしたり秘めごとを出版したりする女性は女郎花に圧倒されているのでは?
 この松花堂庭園の美術館で16日から12月12日まで「ふるさと八幡の宝物」展が催されている、日曜日には茶室に釜がかけられるそうである
 松花堂昭乗は小堀遠州などと茶を通じて一つの文化を形成した阿闍梨。隠棲の地、秋の庭も風流を愛でる地であるかも

 女郎花は昔から食べられていた
  てんぷら以外で食する場合は、茹でるがその際に塩を少し入れしんなりするまで茹でその後、水にさ らしてアク抜きをする
 てんぷら
  食べるには採取したものを水洗いして水気をふき薄めの衣でカリッと揚げる
 油いため
  アク抜きし水を絞り細かく切って油でいため味 噌で味付けをする。
 おひたし
  アク抜きしたものを適当に切り鰹節を振りかけ醤油をかけいただく
 ごまみそ和え
  アク抜きしたものを細かく切り、すりごま・味噌・みりんを合わせて和える、味噌は甘くすると子供 も喜んで食べる、酢・塩・醤油・味醂・はちみつで和えると三杯酢やごま酢あえもよい
 女郎花飯
  アク抜きしたものを細かく切り、塩と醤油を入れて炊いたご飯に混ぜる

 根を天日で乾燥させると漢方薬の敗醤根と言う解毒剤になる、名前のとおり醤油の腐ったようなにおいがするそうである
 オトコエシも女郎花と同じようにして食べられる。 
 明日は9月9日菊の節句である

2010年9月6日月曜日



妹が家の門田を見むとうち出来し 情もしるく照る月夜かも(8・1596大伴家持)

あなたの家の近くの田の具合を見たいといってきました。そのかいがあって、今夜はいい月夜ですね。

稲に関連のある言葉は田、穂、斎種などがある


 稲の花は風媒花で昼に数時間開花して自家受粉をするので隣の田に異なる品種が植えてあっても交雑する可能性は低い、また、稲は多年草であるが日本では冬に枯れる、越年した場合は二年目以降収穫量が激減するといわれている。
 稲は田植え後50~80日ほどで5割ほど穂がでる、収穫量は出穂期の天候に左右され天候不順になると受粉が進まず不作となる。
 早稲はそろそろ稲刈りの時期であり生育の遅い品種はあとひと月ほどこの時期に台風の来襲や雹が降ると被害甚大、稲刈りが終わると秋祭り。
 
 米は主食と言う方がほとんどであるが和菓子の材料である、餅や煎餅はもちろんのこと新粉は外郎や団子や柏餅に、餅粉は餅菓子に道明寺粉は桜餅やみぞれ羹、寒梅粉(みじん粉)は落雁にとその加工方法によって色々なお菓子に変化する。

2010年9月5日日曜日

すすき


君に恋ひ しなえうらぶれ 我が居れば 秋風吹きて 月傾きぬ(10・2298)
あなたが恋しくて、しおれてしょんぼりしている私がいると、秋風が吹いて月はもう傾いてしまった

 日中ははまだまだ夏そのもの、ようやくピンク色や白い百日紅やムクベの花が散り始め夏は終わりと言っている、秋なのかと思っていると夜明け前にコオロギと鈴虫が鳴きはじめ秋の実感が。

 上の歌の下の二句、彼氏のことを思いながら秋風に吹かれていると月が傾いてしまったと詠っている、長時間思う方のことを待ちながら考えていた女性の切ない気持です。

 夏の夜と秋の夜、同じ夜でも苛立つことなく過ごせる時間となりつつあるようです、巷ではながい夏のおかげで穀物や果実の成熟が早く農家を慌てさせているようです、台風の来る前に収穫できればありがたいことと昔の人は言ったかもしれないですが、収穫時期の予定が狂うと経済にひと波乱、政界にも波風が立つのか昨日と今日が正念場、
 
 ススキはどちらになびいているのか月が傾いてしまったことに気がつくまでゆっくりと話を聞くのも判断する側の戦法
 

2010年9月1日水曜日

不意の災難


梅柳過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに(6・949)
うめやなぎすぐらくをしみ さほのうち あそびしことを みやもとどろに

梅や柳の盛りが過ぎてしまうのが惜しくて、ちょっと近くの佐保で遊んでいたことが、宮もとどろくばかりに大騒ぎになってしまった

 この歌は宮中で謹慎処分を受けた舎人(とねり、下級役人)が鬱憤を晴らすために詠んだもの、事の次第は天皇の警護役の舎人たちが春日野に遊びに行き、打毬(だきゅう)を楽しんでいたところ雨が降り出しそのうえ雷が鳴り出した、警護の者は咄嗟の際には天皇の身の回りの世話をするのであるから雨風のため大変な状況になり誰もいないことを知った責任者は驚き慌てたものと思う。

 この舎人は貴族の子弟であるからこのように御所を抜け出したのであろうが、本来の下級役人であれば天皇の近侍として使えることはない、行儀見習いの現在でいえばインターシップのようなもので反省の様子はみられない
 何事もなければ赤信号みんなで渡れば怖くない、気分転換のため遊ぶのであれば交代で出かければよかったものを全員で遊ぼうとしたところに若者の愚かさがある運が悪いという言葉はこのようなときのことを言うのであろう
 佐保の内とは御所から遠くないところであるのにということである
 世間では大山鳴動してネズミ一匹ということもある、雨が降り雷が鳴り響き御所内の御殿が水浸しになっただけであれば、天皇も怒りはしたものの外向きのため謹慎処分ですませたものと思われる
 この当時は雷が鳴ってもまだ「くわばらくわばら」と呪文をとなえていなかったことは明確である。
 今日からしばらくは永田町や報道関係者は佐保の内ならかまわないだろうと飲みに出かける方はいないと思うが少しぐらいならと飲んでいると思わぬ情報に出あうかも

2010年8月31日火曜日

いつか春は来る


石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも(8・1418志貴皇子)
岩の上を走るように流れる滝のほとりの早蕨の芽が、萌え出す春になった

 志貴皇子(しきのみこ)は天智天皇の皇子で奈良時代の天武天皇の皇統中に冷遇され冷や飯を食わされた人物であるが彼の死後、彼の息子が天皇に即位し以後は志貴皇子の血筋が代々の天皇になった
 いつか春が来るという御歌

 春の行事の吉兆の結果が秋の五穀豊穣となる今の永田町の占い結果はどうなるのかな、冷や飯を喰って我慢しているのは誰
 冠をただし靴ひもをしっかりと結んでいただきたいものですが場所と時勢の空気も読んでいただきたい
 古事記に天皇の先祖は美しい娘を嫁にと望むと娘の父は姉も一緒に嫁がせると言って二人の娘を嫁がせた、妹は心優しく賢明であり姉は見てくれは良くないが素直で妹思いの優しい女性であった、男は姉には興味がなく姉までも望んでいないと嫁いできた翌日に姉を実家に送り届けた、妹は姉への仕打ちに腹を立て実家へ帰ったがしばらくして妹は子を身ごもったことを伝えると男は一夜の契りで子どもができるはずがない本当に私の子供なのかと言い放ち疑った、妹は臨月になると小屋にこもり火をつけるように申しつけ火のついた小屋から可愛い男の子が生まれたが、このことを知った姉妹の父親は男の神としての力を奪い子孫は人として地上で暮らすようになった、この故事からすると日本は一夫一婦ではなかったのか一夫多妻が日本の始まり。出雲の神様の大国主命は妻が数人いらっしゃる。

 昔々、富の神と貧乏神という二人の姉妹の神様がいた、あるとき、二人は炎天下に山道を歩き倒れそうになるところで大きな屋敷の前にたどりつき富と貧という旅の者で喉を潤す水と少しばかりの粥をいただきたいと願った、これを聞いた長者は二人に水を与え富と名乗った女性を部屋に招きご馳走をだし、貧と名乗った女を屋敷から追い出し村はずれの粗末な小屋に住む村人の家に追いやってしまった、すると富という女性はご馳走に手をつけず屋敷を出て貧が追いやられた小屋に立ち寄り村人に白湯と粥の接待を受け、旅先で見たことや聞いたことを小屋の主に話し主はなるほどそうだったのかと話を聞きながら言われるままに行いをただすといつの間にか小屋には富める者や貧しい者が立ち寄るようになり小屋はいつしか屋敷となり品物が運び込まれたり運び出されたりで、村はずれの小屋はいつまでも栄えた、長者の屋敷はいつの間にかなくなり屋敷があったことを忘れてしまった。長者は福の神と貧乏神が姉妹であり世間の情勢をよく知っているという空気を読めなかった。

野蒜


醓酢に 蒜搗き合てて 鯛願ふ 我にな見えそ 水葱の 羹(16・3829長意吉麻呂)
ひしほすに ひるつきかてて たいねがふ われになみえそ なぎのあつもの
私は醓酢にノビルを搗き混ぜたものと鯛の焼き物が食べたいと願っているのだが、小水葱を浮かした吸い物は見たくもない

蒜はネギ、ニンニク、ノビル、ニラの総称、生のまま食べると強い辛みのあるユリ科の植物
みらはにら

伎波都久の 岡のくくみら 我摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね(14・3444)
きはつくの おかのくくみら われつめど こにもみたなふ せなとつまさね
久米の者たちの粟畑には、臭いの強いニラが一本生えている。その根と芽を一緒に引き抜くように数珠繋ぎに捕らわれて、敵を撃たすにおくものか

 暦の上で秋ですがまだまだ夏の気配があちらこちらの農道や畔に自生するノビルやニラの仲間の花が咲いています、もう少しすると小さな黒い種が付き始める、ムカゴであるムカゴで美味しいのは自然薯のムカゴ、ニラやノビルのムカゴは古くから生薬として用いられ鱗茎はいずれも生で食すほか滋養強剤としても重宝され、ニラの鱗茎は下痢止めや女性の月のものの不順解消に用いられた
 古典を読み進むと女性が韮類を食するということは風邪等の病の場合か暗闇にまぎれて忍んでくる男性を拒否する場合である、男性が同じように韮類を食べているとどうであったのか知りたい。
 仏教では酒、肉、韮は山門から持ち込むことができなかったが、宗派によって異なる。酒は弘法大師が夜一杯の般若湯を許すと認め猪は牡丹、鹿は紅葉、馬は桜と言葉を変え食用に韮類は生薬として持ち込んだのだろうか、高野山はながく女人禁制であったが室生寺、根来、立川によっては若干教義も異なるようですが宗派によてああだこうだというのは大乗仏教で小乗仏教は戒律を重く見て宗派がないそうで黄色い衣を着て托鉢をする僧侶はお金に触れてもいけないという国もあるそうです、日本人は僧侶だけでなく全般的に○○派と言うのが好きなようです 

2010年8月30日月曜日


水沫なす もろき命も 栲縄の 千尋にもがと 願ひ暮らしつ(5・902山上屋憶良)

みなわ もろきいのちも たくづなの ちひろにもがと ねがいくらしつ

水の泡のようなはかない命であっても、楮で編んだ強い縄のように長く生きたいと願って暮らしている

水泡なす 仮れる身ぞとは 知れれども なほし願ひつ 千年の命を(20・4470大伴家持)

みつぼなす かれるみぞとは しれれども なほねがいひつ ちろせのいのちを

水泡のような仮の身であると知ってはいるが、なお願わずにはいられない、千年の命を

 家持は憶良の歌に影響を受けていると言う方もいるが、彼ら知識人は生き死にを考える時があった、下々の民はそのようなことを思い詠う余裕があったのだろうか?
 永いとか古いとかを千年、千尋であらわすのは今も昔も変わらない、よく、千年杉・千年屋と古い杉の木や建物につかわれていますが杉には強い生命力があるのかも、千年杉より古くなると縄文杉とか古代杉ということもある。死を具体的に感じるようになると死にたくないと思うのは当然のことであり、超越するとお世話になった人にお先に参りますいう余裕ができるらしい、私はまだどちらでもないが亡くなった父は永眠する時がきたのを感じ取り入院中に自ら呼吸器の管を抜いたことがあった慌てたのは私でした本人や病院の職員方は落ち着いてもので急いで対処してくださった。
 腹が座れば寿命が1日であろうが1月であろうが同じであるのか、しかし、1年先、3年先までは寿命が延びるとなれば考え方や毎日の生き方も変わるだろう。先が見えない私はまだだらだらとしている。

 杉の不思議な力をどこかでいただいているからまだこの世にとどまっている、身の回りには杉の木だけでなく杉でできた製品が少なくなりつつある、特に町中で杉玉を見る機会が少なくなったのではとも感じる今日この頃である、
 千年松、千年檜という呼び名は聞いたことがない、たまに桜で樹齢が何百年と言う話を聞くが杉ほど長寿の樹木はないと思う、杉の樹皮や新芽は切り傷や火傷、手足の腫れものに効能があるそうで杉の持つ遺伝子に不思議な力があるのでは。
 

2010年8月29日日曜日



筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも(14・3350)


つくはねの にいぐはまよの きぬはあれど きみがみきえい あやにきほしも


絹の柔らかい上着は持っているけれども、それはともかくとして恋人の衣服を身につけてみたいの

 遠い昔から桑は日本人の生活になくてはならないものでしたが、今は養蚕業が衰退し桑畑を見るのはまれですが地図記号には桑畑の記号がまだ残っている、葉は蚕の餌に根や枝は咳止め薬に葉は高血圧のお薬そして実はジャムやジュースに、桑の実の果汁は冷え症に効果があるようです。

 桑は夏の季語だそうですが花は4月ごろに咲く、雌雄別株の樹であり目立つような花でなく赤く小さな実が夏になり初秋のまだ暑いころに暗紫色になる、近頃、紫色の植物が身体に良いとすぐに飛びつく方が多いが桑の実となると手に取るとその色が手に食べると口の中は桑を食べましたとばかり真黒になる、そんなことからか積極的に桑を探すことはないのかも

 桑の実のジュースや果汁を加えたゼリーはあるが、桑をイメージしたお菓子はあまり聞かない、和菓子は色で花や植物のイメージを表現する、桜、紫陽花、撫子等の花の色でイメージをするとなるほどアジサイの花かと連想できるが桑ですと言われても桑の花を思い浮かべる方は少ない、色と形で表現すると名前を聞くまでもないが色で撫子ですと言われると景色・花や歌も言葉も食べる側にもわいてくる。
 
 上の歌はは東歌と言われるものですが「絹の衣」と表現せず「新桑繭の衣」と言ったり御衣は麻でも木綿であってもよくまた、東国なら冬の防寒具である毛皮である可能性もある。

 贅沢な絹を作る蚕の餌であり生薬として根も枝も葉もそして実も大変役に立ってくれた桑です自然の中から生まれた物には助けてもらえる日が来るはずである、あのムラサキの花は白く目立たないが根はシコニンというすごい成分を含んでいる紫色は不思議な存在である。
 ヒオウギのように奇麗な花なら実も姥玉と呼ばれたり、漉し餡に羊羹をまぶしてつやのある小さな御饅頭として表現してもらえる。美味しい桑の実は残念がっているだろう

2010年8月26日木曜日


未通女等が 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは(4・501柿本人麻呂)
をとめらがそでふるやまのみづがきのひさしきときゆおもひきわれは

未通女、この歌の場合は斎宮(未婚の内親王あるいは女王)、巫女(未婚の神に仕える女性)
布留、地名、石上神宮(いそがみじんぐう)がある場所(天理市)
袖布留山、巫女が袖を振るとは神を迎える行為
瑞垣、玉垣の内側に設ける木製の垣で神殿を囲んでいる
久しき時ゆ、長い間
思ひき、物思いをしていた
 
 人麻呂は神宮に仕える斎宮か巫女に恋をしその面影を思いづづけたようです、神楽殿で一糸乱れることなく踊る姿は神々しく見えますよね、同じく仕事に打ち込む人の姿は奇麗なものです、
 この歌にある女性は恋をしてはならない女性であったのでは、斎宮の任期中は人麻呂も思い続けるだけであるとこの歌を詠ったのではないでしょうか

 神社で神職から渡され納める玉串のサカキ、花は白く実はドングリに似ているが食べられない、以前、ドングリと間違って食べ中毒を起こしたと報じられたことがあるがよく観察し知り尽くした方が指導すればこのような間違いは起こらないはず。毒がなければイノシシやシカが食べているはずで山の中ではそのような観察も必要。

 石上神宮を拝する家は少ないと思われる、養母が永くお札等を居間の片隅に祀り転居後も食堂に祀っていました、神棚の方角は石上神宮の方向を向いていました。明治・大正生まれの方は仏教・神道を問わず宗教心が強く昭和生まれになると非常に薄くな、養母が石上神宮を崇拝したのは神道系の学校で教育を受けた影響や実父が皇宮警察官であった生活環境も大きな要素であったものと思います。
 伊勢神宮でなくなぜ石上神宮なのかは古事記や日本書紀に興味がなかったことから聞かずじまいでしたが古くからの門徒としての家系であるのに毎年のように石上神宮に初穂・玉串料を納めていたことから養母の心に何か大きなものがあったと思われます。

 石上神宮は伊勢神宮、大神神社とともに日本で最も古い神社のひとつで、拝殿は宝剣が埋められている神域の山、神主は物部氏の末裔である森氏が世襲制で受け継いでいる、また、社号として神宮を名乗る神社であるが日本書紀にも伊勢神宮とともに記されているが皇室や皇祖に関連する神社ではない、古事記や日本書紀に由来する宝剣、鏡、八百万の神に由来する神社は鹿島神宮、香取神宮、熱田神宮等六社あるがそのうち最も古いのが石上神宮である。
 記録などによると斎宮が派遣されていた、神武天皇の東征に関連し健御雷神(たけみかずちのかみ)が国土平定にもちいた横刀(たち)布都御魂(ふつのみたま)を石上神宮に坐すと古事記にあることから地理的に見て熊野方面に対する大和政権の方針ではなかったのかとも思われる。石上神宮の神域は杉の山であるそうです花粉症の私は春先はお参りできない涼しくなれば平城遷都一三〇〇年を実感しながら古事記・万葉の地を尋ねてみようと思っています

 祖母は熱心な門徒であったそうですが実母や姉妹は宗教心が薄い、甥にあってはないと言ってもよいぐらいでであるのに結婚式やお宮参りはする、クリスマスをして夏には町内の地蔵盆で盆踊り11月には七五三でお宮参り、お寺や神社のあり方に「ふん」とう思想を持っているのなら結婚式やお宮参りは人前式でする気概がを持てばさすがと思うがそこまで徹底していないところが人の弱さか・・・たぶん甥は「門徒」「それ何」と言うであろう、さらに、「門徒の意味は」と聞き返し説明できなければそれ見たことかと勝ち誇るだろう、親の顔が見たいものです?

2010年8月24日火曜日

秋の七草


秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花((・1537山上憶良)
秋の野に咲いている花を、指折って、数えてゆくと、七種の花だ。

萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴 朝顔が花(8・1538山上憶良)
萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、おみなえしに、また藤袴、朝顔の花。

 上の歌が問いで下の歌が答えである、七種の花とは秋の七草を指しているようであるがおそらく庭で子どもに花の名前を挙げながら指を折り数えて七種を詠っている。施頭歌という。
 上の歌は57577、下の歌は577577の形式で詠われている、
 和歌の形式には長歌、短歌、施頭歌、仏足石歌、片歌があり現在和歌といえば短歌の形式57577の31文字のものをいう、長歌は5757・・・577と57を3回以上繰り返し最後を7音で終了するものでほとんどが反歌を伴う
 仏足石歌は575777調で577577調を施頭歌と言う
 万葉集では施頭歌等が62あり35が柿本人麻呂の歌だそうで古今和歌集になるとまれな詠み方となり、後には57577の31文字が短歌であり和歌をさすようになったそうである。仏足石歌や旋頭歌の文字数のリズムは現在の作詞に通ずるものがある。 
 

2010年8月22日日曜日


橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し(18・4112大伴家持)
橘は花の時も実の時も見ましたが、いつ見ても素晴らしくてますます見たいという思いが募ります。

 橘は酸味が強く食用にならいものですが花も実も香りが強く初夏に咲く白い花や晩秋の橙色の実とも見てさわやか柑橘油の香りは昔から不思議な力を恵んでくれたようで、紫宸殿等には左近の桜、右近の橘として植栽されている、また、家紋としてデザインされている、近年では橘花(戦闘機)、橘(軍艦)等の名称にもあるように古来から不思議な力があるものとされていた。

 初秋の今頃は橘の実はまだ葉と同じ緑です。最近では絶滅危惧種Ⅱ類に位置づけられ特別な場所以外では見ることができない。京都御苑の紫宸殿前だけでなく場所が確保できるなら周辺で増やして欲しいものです。
 
 柑橘系の果実は果肉を食するもの果皮を食べるもの果汁を使用するものと属によりいろいろである、温州みかんやデコポン、オレンジ等は果肉や皮まで大事に使われたが最近では陳皮(チンピ)という用語を知らない方もある、果汁としては橘に近いのが酢橘で沖縄のシークヮーサーも近い品種だそうです。

 この時期はまだまだ青いミカンも太陽の光をいっぱい吸収し橙色になる日も近い、レモンや柚子、酢橘は果汁だけを飲用したり果肉を丸かじりすることはほとんどありませんが加工次第で美味しいものになる、また、甘夏やグレープフルーツには不思議な苦みがありそれが美味しいさでもある。
 今日は8月24日、綿柎開(めんぷひらく)日で、明日はこの夏最後の満月です。そして、赤とんぼが姿を現すころ。炬燵ミカンはまだ先のことです。

 

ナツフジ



我がやどの時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹が笑まひを(8・1627大伴家持)
私の庭に時期はずれの藤がさいた。珍しいその花のような愛すべきあなたの笑顔を今すぐにでも見たい

 時じき藤、時ならぬときに咲いた花でナツフジのこと花は薄い黄緑色、普通藤の花は春に咲くが夏に咲くことがある、また春に咲いた藤は今頃に実がつく
 
 植物の名をあげて季語だ時期が異なると額に縦筋の皺をつくりなにかと説明をしてくださる方がいますが川柳の好きな方が
 珍しき 花の薫りに 教えられ (時期外れの花に今年の天候に注意しなさいと教えてもらったよ)
とそっと耳打ちしながら万葉集や和歌には春の花が秋に咲いたとか、春や夏に花を詠うと夏や秋には実がなったと読まれている、その情景が季語の本質だなとひとり言のようにつぶやきながら笑みを浮かべていました

 ヤマモモ(楊梅)の実が熟して落ちる頃ですが四国や広島方面の農協では今期収穫のヤマモモジュースが出始める頃です、徳島の山中を遍路中にいただいた缶ジュースですが歩き疲れた身体にはご馳走であり疲労回復の生薬でもありました。春に散歩で花に癒され、果実が実る初夏には木陰でその恵みをいただき、初秋には果汁で喉の渇きを潤しこれが季節を知る現実だと思うこのごろです。ヤマモモのジュースだけをあげるとコケモモのジュースもあるとかヤマモモのジャムやコケモモのジャムも美味しいよと教えてくれる方があり美味しい物好きの私にはたまらないお話です。そういえば、コケモモはツツジ科でヤマモモはヤマモモ科ですよと詳しく教えてくださる方もあり実を採取するのなら庭や裏山に植え手入れをしてやると美味しい実をたくさんいただけますということも教わりました。写真はコケモモの花です。 

2010年8月19日木曜日

姥玉





うばたまの 我が黒髪や かはるらむ 鏡のかげに 降れる白雪 紀貫之
 
いとせめて 恋しきときは うばたもの 夜の衣を返してぞ着る 小野小町

うばたもの 闇のくらきに あま雲の 八重雲がくれ 雁ぞ鳴なり 源実朝

うばたま ひおうぎの実 

 先日、ひおうぎについて少しだけ載せましたが「うばたま」の後に続く言葉によって歌の内容が変わる、大きなカラスが現れ翼から黒い玉が落ちたという故事によると日食による暗闇を表わすようですが黒髪となると艶やかな女性の髪、恋しき時となると真っ暗な部屋の中でとなる、あま雲のとなると社会情勢になる。

 「うばたま」で検索すると「ひおうぎの実であるウバタマ」「姥玉」と「乳母玉」がどちらも和菓子ですが「姥玉」は小豆餡を丸くして寒天や葛をかけてたもの「乳母玉」はギュウヒで漉し餡をつつんだもののようです。

 姥玉をお土産にと思って日持ちを尋ねると2~3日とのことでお店によれば翌日までというところもあったりで賞味期限を気にされる方にはお土産ですとお渡しすると大変早くいただかなくてはとなり購入を躊躇ったことがあります、最近、あるお店で尋ねると5日はもちますとのことで製造元で冷凍しそのまま店頭まで届けられ冷凍のままで販売するので解凍に3時間を要しますとのことで帰りの電車の時間などを考えて買い求めると自宅についてもまだ半解凍状態でそのまま冷蔵庫へ入れておくと1週間くらいは味を楽しめそうだと思ったので次は買うつもりでいます。
 姥玉は餡と羊羹に自信がなければできないもののようで梅田の百貨店ではお目にかかれない、神戸でも百貨店に一店づつしか出していないし、京都のお菓子屋さんでも要冷蔵で昔は常温で販売されていた記憶があるのですがあのころはお土産でいただくとすぐに食べていたのだろうか。

 

 

2010年8月17日火曜日

ムラサキ


韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも(「4・569)
カラの人々が衣を染めるという紫色のように、鮮やかに心にしみついてあなたのことが思われる

 ムラサキは濃い緑色の葉と小さな白い花がさく、多年草で根を採取し染料として使用されていたが最近ではムラサキそのものが絶滅種に指定されている、栽培は発芽率が低くウイルスに弱いため株を増やすのに大変な苦労がいるようです、栽培用に同属異種のセイヨウムラサキがある、
 染織用に使用された根は紫根といわれ年数の経った太い根ほどきれいで濃い紫色に染まったそうです。最近ではお目にかからないが紫に染めた絹の布を鉢巻きにして頭に巻き病気平癒を願う風習があった。歌舞伎でお目にかかるのがこの紫の鉢巻きである。

 根は紫根として日本薬局方に収録されており抗炎症作用、殺菌作用、創傷治癒促進等があるらしい、口内炎のお薬に使用されているそうです、紫根に含まれるシコニンという成分をバイオテクノロジーで大量生産し口紅につかわれている。

夏に白く小さな花が咲く植物にサギソウ、ダイモンジソウがあるどちらも不ぞろいな花が咲く、緑の中に白い花を見るとさわやかさがある、ダイモンジソウは暑さに強い植物だそうで満開時に全草を刈り取り天日で乾燥させ欠席などの際に煎じたものを飲用するそうです。

2010年8月15日日曜日

女郎花


をみなへし 秋萩凌ぎ さ雄鹿の 露分け鳴かむ 高円の野そ(20・4297大伴家持)
露に濡れたおみなえしや秋萩を凌いで雄鹿が露を分けて鳴くであろう、そんな高円の野だ

 上は高円の野に酒を持って登った折に詠ったもので下は宴席で詠おうとしたが未奏となったものである

秋風の吹き扱き敷ける 花の庭 清き月夜に 見れど飽かぬかも(20・4453大伴家持)
秋風が吹いて散り敷かれた花の庭を澄み切った月明かりのもといくら見ても見あきないことだ

 8月7日を過ぎると秋である詠われるときにも秋を思わせる言葉が多いのも自然の成り行き、現在のように居酒屋や焼き肉店でちょっとお腹いっぱい飲んだのでなく、風雅を詠う余裕がある酒の肴が景色であり月明かりをたよりに下山したと思われる。
 女郎花(おみなえし)が詠まれた歌はよくあるようです、秋の七草で花言葉は「親切」「美人」「永久」「忍耐」「はかない恋」だそうです。生薬名は敗醤根(はいしょうこん)消炎製解毒薬として根がつかわれたようです、男郎花(おとこえし)という花もあるそうです。
 ススキと女郎花を生け白玉のお団子に砂糖を振りかけて店頭でのディスプレーでは真っ白なお団子にパウダーシュガーと薄茶がまぶされ、その下には濃い茶と氷砂糖を砕いたのが敷かれてあった氷砂糖は枯山水のお庭の砂、濃茶は苔でお団子の薄茶は青モミジか松の葉。
 送り火のお供えにお団子、高価なお菓子ではなく手作りのものが一番です。
 女郎花の仲間にカノコソウがあるこの花は鎮静効果があるそうでお盆の帰省中渋滞でいらいらしているドライバーに落ち着いてとソーッと差し出すのも効果があるか

2010年8月14日土曜日


玉掃刈り来鎌磨室の樹と 棗が本とかき掃かむため(16・3830長意吉麻呂)
たまはばきを刈り取ってきなさい、鎌麿よ。室の樹と棗の樹の下を掃除したいから。

玉掃(たまはばき)、キク科のコウヤボウキ
室の樹(むろのき)、ヒノキ科のネズ
棗、クロウメモドキ科、6月に淡黄色の小さな花を咲かせ8月中ごろ実がなり9月ごろに実が熟す、実は生のままでも食され祝いごとにももちいられる。利尿や鎮静効果があるそうだ。
 

 今日、京都市役所の本庁舎の前を通ると白とピンクの百日紅の花がまだ咲いていました8割は薄い緑色の実になっていましたが開花の時期はもう少しで終わるようです。久しぶりに昔の知人とお茶をしました、知人に「長月の時雨・・・」と話すと知っているとのことで大変うれしく思いました歌の意味は別として知る人ぞ知る。この知人に梅やモモもいいけど棗も生で食べられるし乾燥させてお菓子に使えるよと伝えるのを忘れました。
 栗名月、芋名月のころ栗やお芋のお菓子とともに棗も一緒に添えるといい

ムクゲ


淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに いにしへ思ほゆ(3・266柿本人麻呂)
あふのうみゆうなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ

夕焼けのきれいな湖面を千鳥が鳴きながら飛ぶ姿を見て都の興亡を見るにつけ心がしおれるほどである

 場所は崇福寺付近の湖岸である、万葉の時代には今日のように浜近くまで民家はなく山側に街道があったと思われる、千鳥の鳴く姿を見るには山寺から湖岸へいたる途中か唐崎の浜まで出るしかない、緩やかな下り坂を浜へと向かいながら対岸を見ると近江富士が夕日に映えて美しく見える、途中の古い民家の庭のザクロの花が落ち小さな実がなり始めている、まだ実が割れて紫色の果実が宝石のように見えるのはまだ先のようである、そろそろ、木槿(むくげ)の花が咲き誇るころである。

 石榴の根の皮・樹皮は石榴皮といわれ腸出血、扁桃腺、口内炎に効能があるそうだ、石榴の実は喉の痛みをおさえるそうで水で煎じてうがいをすると書物で見たことがある!石榴の実は子どもの守り神である鬼子母神の好物、

 そろそろ、木槿の可憐な花を模した練りきりのお菓子が出始める頃で水菓子の時期とかさなり団子と練りきりのお菓子がわらび餅と肩を並べて店頭に並び始める
 ムクゲの蕾は下痢止めの薬として珍重されたそうですが天日で干し保存するそうですが花が咲く前に全部を採取するのは野暮、少しは残して開花を楽しみましょう。 

2010年8月12日木曜日

ハシバミ


思う子が 衣摺らむに にほいこそ 島の榛原 秋立たずとも(10・1965)
ハシバミの実がみのる秋はまだですけど、私の思いはつのるばかり、あの人の衣を早く摺ってあげたい

 榛の木は7メートルの樹高になるが30年程度の寿命だそうです、土地に必要な窒素を固定する植物として知られ土地改良の樹として植えられてきた、また、アイヌは血の木ケネとして樹皮を煎じてお産の後に飲ませていたそうである。
 摺り染めとは模様染めだそうで榛の実を蒸し焼きにした黒灰を用いる方法と実を煎じた汁で茶色に染める方法があるそうです。

 239年に卑弥呼が中国に使節を送ったときに土産として「男の生口4人、女の生口6人、班布242丈」を献上したという記録がありますが生口は中国語で奴隷という意味、大国の王が10人ほどの慟労力を送られて喜ぶはずがなくこの場合の生口は特殊な技術特に中国ではまれな技能をもった者という意味で勿論、当時のことですからそのまま中国にとどまったものと思われ、そういう意味で生口と記録されているようです、女性の場合は側室という場合もあり美しく賢明な方も含まれていたものと思います。布は中国にもあるはずですがこれだけのものを献上するということは中国にない織り方や染織をしたものであることは明らかで中国では錦織のもので日本からのものを特に倭(やまと)と呼び珍重し特殊なものであったようです。

 榛の花は春に咲き、実は秋になる。詠った時期はこのころであること秋も衣装、冬の服を造る構想をねっていたのでしょう。

 少しづつ涼しくなるのかと思いますがまだまだ暑いです、12日ですお盆のお迎え団子、米粉を湯で練って蒸し御先祖様にお供えをするようですが、今では忙しくてできない家も多いようです、そんなの作る手間と時間がないという方は買ってくれば美味しいお団子、この時期だけ限定で販売されてます。