2010年11月25日木曜日

紅葉2


めづらしとわが思ふ君は秋山の 初黄葉に似てこそありけれ(8・1584長忌寸娘)
なつかしく存じ上げるあなたは、秋山のはつもみちに似て初々しく匂やかでいらしゃいますね。

春や秋の山を詠ったものは長歌を含み結構ある万葉の当時は紅葉を黄葉と表記し楓(カエデ)の表現は少ない。

言葉の表現で秋を端的に言い表したのが「小さな秋」がある、小さい冬・小さい夏・小さい春と詠われることはほとんどない、暑い夏から心地よい涼しさが眠気を誘う小春日和という陰暦十月の表現も生まれたのではないでしょうか。

秋といえば黄色いイチョウや紅色のモミジをかたどったものを抹茶色の羊羹の上に置いて透明の寒天を流し込むと苔むした庭に舞う小さな秋が目のごちそうにそして暖かい飲みごろのお茶を淹れて出された器を手にするとほっとする暖かさの感覚が手に伝わり、それをいただくと五臓六腑にしみわたる温かさ、抹茶でも煎茶・紅茶でもいいコーヒーも温かいものなら、これからはおもてなしとしては心のこもったもの。

茶樹は帰化植物のひとつであるそして黄色く色づいて秋を思わせる公孫樹もそうである日本の気候・風土に応じたものであることは間違いない。

暑くなったり寒くなると風邪が流行るが、庶民がお茶を飲用するようになりはじめたころお茶問屋の丁稚に流行り病なしと云われるようになり既成事実からお茶の殺菌効果を知った昔の人は茶ガラを部屋にまいて掃除をしたり高価な煎茶は天日干しをし炒ってフリカケにして恵である成分や栄養をすべていただいていたそうである。