2010年8月31日火曜日
いつか春は来る
石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも(8・1418志貴皇子)
岩の上を走るように流れる滝のほとりの早蕨の芽が、萌え出す春になった
志貴皇子(しきのみこ)は天智天皇の皇子で奈良時代の天武天皇の皇統中に冷遇され冷や飯を食わされた人物であるが彼の死後、彼の息子が天皇に即位し以後は志貴皇子の血筋が代々の天皇になった
いつか春が来るという御歌
春の行事の吉兆の結果が秋の五穀豊穣となる今の永田町の占い結果はどうなるのかな、冷や飯を喰って我慢しているのは誰
冠をただし靴ひもをしっかりと結んでいただきたいものですが場所と時勢の空気も読んでいただきたい
古事記に天皇の先祖は美しい娘を嫁にと望むと娘の父は姉も一緒に嫁がせると言って二人の娘を嫁がせた、妹は心優しく賢明であり姉は見てくれは良くないが素直で妹思いの優しい女性であった、男は姉には興味がなく姉までも望んでいないと嫁いできた翌日に姉を実家に送り届けた、妹は姉への仕打ちに腹を立て実家へ帰ったがしばらくして妹は子を身ごもったことを伝えると男は一夜の契りで子どもができるはずがない本当に私の子供なのかと言い放ち疑った、妹は臨月になると小屋にこもり火をつけるように申しつけ火のついた小屋から可愛い男の子が生まれたが、このことを知った姉妹の父親は男の神としての力を奪い子孫は人として地上で暮らすようになった、この故事からすると日本は一夫一婦ではなかったのか一夫多妻が日本の始まり。出雲の神様の大国主命は妻が数人いらっしゃる。
昔々、富の神と貧乏神という二人の姉妹の神様がいた、あるとき、二人は炎天下に山道を歩き倒れそうになるところで大きな屋敷の前にたどりつき富と貧という旅の者で喉を潤す水と少しばかりの粥をいただきたいと願った、これを聞いた長者は二人に水を与え富と名乗った女性を部屋に招きご馳走をだし、貧と名乗った女を屋敷から追い出し村はずれの粗末な小屋に住む村人の家に追いやってしまった、すると富という女性はご馳走に手をつけず屋敷を出て貧が追いやられた小屋に立ち寄り村人に白湯と粥の接待を受け、旅先で見たことや聞いたことを小屋の主に話し主はなるほどそうだったのかと話を聞きながら言われるままに行いをただすといつの間にか小屋には富める者や貧しい者が立ち寄るようになり小屋はいつしか屋敷となり品物が運び込まれたり運び出されたりで、村はずれの小屋はいつまでも栄えた、長者の屋敷はいつの間にかなくなり屋敷があったことを忘れてしまった。長者は福の神と貧乏神が姉妹であり世間の情勢をよく知っているという空気を読めなかった。