2010年8月11日水曜日

ノイバラ


道の辺の茨の末に這は豆の からまる君を別れか行かむ(20・4352丈部鳥)
みちのへのうまらのうれにはほまめの からまるきみをはかれかいかむ
道の辺のうまらに豆のツルがはいのびるように気持ちがからまるあなたを置いて、私は行かなければならない

防人は現在でいう徴兵のようなもので任地に向かう時には送り届ける役人が同行ししかも交代の者が来るまで3~5年任務に就く、防人は都を守る任務ではなく当時の国境や交通の要衝の防衛にあたるわけであるから辺境の地でに赴くわけで、任地に向かう途中や任地で病死したり任務が終わり帰るときに亡くなる者もいた。
 当時は食料は個人の責任で調達しなければならず任務だけでなく任地に行くませの行程、帰りの行程も苦しいものであった。
 任務を履行するためであるから国で食料の面倒をみるという時代ではなかった、しかも、交代の者が確実に到着するという確約はなかった。
  
 うまら、茨からノイバラに転じたもの園芸品種ではなく花も小さく可憐なもの。
 ノイバラと豆のツルとが絡んだ状態を詠んだ防人の心境は棘を表わし花や香りを詠っていない、棘だらけのバラの茎と豆のツルが絡みとけないほどの別れの辛さ、過酷な身の上では花や香りを詠う余裕があるはずがない。
 
 ケーキにクリームの薔薇がのているのをよく見ますが、砂糖菓子で作られた薔薇は茎も棘も葉もリアルに造られている。砂糖菓子の牡丹を見て薔薇と勘違いしている方もありますが本物の花のように見えれば見る方も間違えることもある。
 京都御苑の北西に京都菓子資料館があります有料ですがお茶とお菓子をいただけ精巧な砂糖菓子も見ることができます、工芸菓子は手入れも大変ですが一度作れば10年ほどはもつらしい、烏丸通りの西側、相国寺のにしです饅頭人形のストラップも売っていました。