2010年8月31日火曜日

いつか春は来る


石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも(8・1418志貴皇子)
岩の上を走るように流れる滝のほとりの早蕨の芽が、萌え出す春になった

 志貴皇子(しきのみこ)は天智天皇の皇子で奈良時代の天武天皇の皇統中に冷遇され冷や飯を食わされた人物であるが彼の死後、彼の息子が天皇に即位し以後は志貴皇子の血筋が代々の天皇になった
 いつか春が来るという御歌

 春の行事の吉兆の結果が秋の五穀豊穣となる今の永田町の占い結果はどうなるのかな、冷や飯を喰って我慢しているのは誰
 冠をただし靴ひもをしっかりと結んでいただきたいものですが場所と時勢の空気も読んでいただきたい
 古事記に天皇の先祖は美しい娘を嫁にと望むと娘の父は姉も一緒に嫁がせると言って二人の娘を嫁がせた、妹は心優しく賢明であり姉は見てくれは良くないが素直で妹思いの優しい女性であった、男は姉には興味がなく姉までも望んでいないと嫁いできた翌日に姉を実家に送り届けた、妹は姉への仕打ちに腹を立て実家へ帰ったがしばらくして妹は子を身ごもったことを伝えると男は一夜の契りで子どもができるはずがない本当に私の子供なのかと言い放ち疑った、妹は臨月になると小屋にこもり火をつけるように申しつけ火のついた小屋から可愛い男の子が生まれたが、このことを知った姉妹の父親は男の神としての力を奪い子孫は人として地上で暮らすようになった、この故事からすると日本は一夫一婦ではなかったのか一夫多妻が日本の始まり。出雲の神様の大国主命は妻が数人いらっしゃる。

 昔々、富の神と貧乏神という二人の姉妹の神様がいた、あるとき、二人は炎天下に山道を歩き倒れそうになるところで大きな屋敷の前にたどりつき富と貧という旅の者で喉を潤す水と少しばかりの粥をいただきたいと願った、これを聞いた長者は二人に水を与え富と名乗った女性を部屋に招きご馳走をだし、貧と名乗った女を屋敷から追い出し村はずれの粗末な小屋に住む村人の家に追いやってしまった、すると富という女性はご馳走に手をつけず屋敷を出て貧が追いやられた小屋に立ち寄り村人に白湯と粥の接待を受け、旅先で見たことや聞いたことを小屋の主に話し主はなるほどそうだったのかと話を聞きながら言われるままに行いをただすといつの間にか小屋には富める者や貧しい者が立ち寄るようになり小屋はいつしか屋敷となり品物が運び込まれたり運び出されたりで、村はずれの小屋はいつまでも栄えた、長者の屋敷はいつの間にかなくなり屋敷があったことを忘れてしまった。長者は福の神と貧乏神が姉妹であり世間の情勢をよく知っているという空気を読めなかった。

野蒜


醓酢に 蒜搗き合てて 鯛願ふ 我にな見えそ 水葱の 羹(16・3829長意吉麻呂)
ひしほすに ひるつきかてて たいねがふ われになみえそ なぎのあつもの
私は醓酢にノビルを搗き混ぜたものと鯛の焼き物が食べたいと願っているのだが、小水葱を浮かした吸い物は見たくもない

蒜はネギ、ニンニク、ノビル、ニラの総称、生のまま食べると強い辛みのあるユリ科の植物
みらはにら

伎波都久の 岡のくくみら 我摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね(14・3444)
きはつくの おかのくくみら われつめど こにもみたなふ せなとつまさね
久米の者たちの粟畑には、臭いの強いニラが一本生えている。その根と芽を一緒に引き抜くように数珠繋ぎに捕らわれて、敵を撃たすにおくものか

 暦の上で秋ですがまだまだ夏の気配があちらこちらの農道や畔に自生するノビルやニラの仲間の花が咲いています、もう少しすると小さな黒い種が付き始める、ムカゴであるムカゴで美味しいのは自然薯のムカゴ、ニラやノビルのムカゴは古くから生薬として用いられ鱗茎はいずれも生で食すほか滋養強剤としても重宝され、ニラの鱗茎は下痢止めや女性の月のものの不順解消に用いられた
 古典を読み進むと女性が韮類を食するということは風邪等の病の場合か暗闇にまぎれて忍んでくる男性を拒否する場合である、男性が同じように韮類を食べているとどうであったのか知りたい。
 仏教では酒、肉、韮は山門から持ち込むことができなかったが、宗派によって異なる。酒は弘法大師が夜一杯の般若湯を許すと認め猪は牡丹、鹿は紅葉、馬は桜と言葉を変え食用に韮類は生薬として持ち込んだのだろうか、高野山はながく女人禁制であったが室生寺、根来、立川によっては若干教義も異なるようですが宗派によてああだこうだというのは大乗仏教で小乗仏教は戒律を重く見て宗派がないそうで黄色い衣を着て托鉢をする僧侶はお金に触れてもいけないという国もあるそうです、日本人は僧侶だけでなく全般的に○○派と言うのが好きなようです 

2010年8月30日月曜日


水沫なす もろき命も 栲縄の 千尋にもがと 願ひ暮らしつ(5・902山上屋憶良)

みなわ もろきいのちも たくづなの ちひろにもがと ねがいくらしつ

水の泡のようなはかない命であっても、楮で編んだ強い縄のように長く生きたいと願って暮らしている

水泡なす 仮れる身ぞとは 知れれども なほし願ひつ 千年の命を(20・4470大伴家持)

みつぼなす かれるみぞとは しれれども なほねがいひつ ちろせのいのちを

水泡のような仮の身であると知ってはいるが、なお願わずにはいられない、千年の命を

 家持は憶良の歌に影響を受けていると言う方もいるが、彼ら知識人は生き死にを考える時があった、下々の民はそのようなことを思い詠う余裕があったのだろうか?
 永いとか古いとかを千年、千尋であらわすのは今も昔も変わらない、よく、千年杉・千年屋と古い杉の木や建物につかわれていますが杉には強い生命力があるのかも、千年杉より古くなると縄文杉とか古代杉ということもある。死を具体的に感じるようになると死にたくないと思うのは当然のことであり、超越するとお世話になった人にお先に参りますいう余裕ができるらしい、私はまだどちらでもないが亡くなった父は永眠する時がきたのを感じ取り入院中に自ら呼吸器の管を抜いたことがあった慌てたのは私でした本人や病院の職員方は落ち着いてもので急いで対処してくださった。
 腹が座れば寿命が1日であろうが1月であろうが同じであるのか、しかし、1年先、3年先までは寿命が延びるとなれば考え方や毎日の生き方も変わるだろう。先が見えない私はまだだらだらとしている。

 杉の不思議な力をどこかでいただいているからまだこの世にとどまっている、身の回りには杉の木だけでなく杉でできた製品が少なくなりつつある、特に町中で杉玉を見る機会が少なくなったのではとも感じる今日この頃である、
 千年松、千年檜という呼び名は聞いたことがない、たまに桜で樹齢が何百年と言う話を聞くが杉ほど長寿の樹木はないと思う、杉の樹皮や新芽は切り傷や火傷、手足の腫れものに効能があるそうで杉の持つ遺伝子に不思議な力があるのでは。
 

2010年8月29日日曜日



筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも(14・3350)


つくはねの にいぐはまよの きぬはあれど きみがみきえい あやにきほしも


絹の柔らかい上着は持っているけれども、それはともかくとして恋人の衣服を身につけてみたいの

 遠い昔から桑は日本人の生活になくてはならないものでしたが、今は養蚕業が衰退し桑畑を見るのはまれですが地図記号には桑畑の記号がまだ残っている、葉は蚕の餌に根や枝は咳止め薬に葉は高血圧のお薬そして実はジャムやジュースに、桑の実の果汁は冷え症に効果があるようです。

 桑は夏の季語だそうですが花は4月ごろに咲く、雌雄別株の樹であり目立つような花でなく赤く小さな実が夏になり初秋のまだ暑いころに暗紫色になる、近頃、紫色の植物が身体に良いとすぐに飛びつく方が多いが桑の実となると手に取るとその色が手に食べると口の中は桑を食べましたとばかり真黒になる、そんなことからか積極的に桑を探すことはないのかも

 桑の実のジュースや果汁を加えたゼリーはあるが、桑をイメージしたお菓子はあまり聞かない、和菓子は色で花や植物のイメージを表現する、桜、紫陽花、撫子等の花の色でイメージをするとなるほどアジサイの花かと連想できるが桑ですと言われても桑の花を思い浮かべる方は少ない、色と形で表現すると名前を聞くまでもないが色で撫子ですと言われると景色・花や歌も言葉も食べる側にもわいてくる。
 
 上の歌はは東歌と言われるものですが「絹の衣」と表現せず「新桑繭の衣」と言ったり御衣は麻でも木綿であってもよくまた、東国なら冬の防寒具である毛皮である可能性もある。

 贅沢な絹を作る蚕の餌であり生薬として根も枝も葉もそして実も大変役に立ってくれた桑です自然の中から生まれた物には助けてもらえる日が来るはずである、あのムラサキの花は白く目立たないが根はシコニンというすごい成分を含んでいる紫色は不思議な存在である。
 ヒオウギのように奇麗な花なら実も姥玉と呼ばれたり、漉し餡に羊羹をまぶしてつやのある小さな御饅頭として表現してもらえる。美味しい桑の実は残念がっているだろう

2010年8月26日木曜日


未通女等が 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは(4・501柿本人麻呂)
をとめらがそでふるやまのみづがきのひさしきときゆおもひきわれは

未通女、この歌の場合は斎宮(未婚の内親王あるいは女王)、巫女(未婚の神に仕える女性)
布留、地名、石上神宮(いそがみじんぐう)がある場所(天理市)
袖布留山、巫女が袖を振るとは神を迎える行為
瑞垣、玉垣の内側に設ける木製の垣で神殿を囲んでいる
久しき時ゆ、長い間
思ひき、物思いをしていた
 
 人麻呂は神宮に仕える斎宮か巫女に恋をしその面影を思いづづけたようです、神楽殿で一糸乱れることなく踊る姿は神々しく見えますよね、同じく仕事に打ち込む人の姿は奇麗なものです、
 この歌にある女性は恋をしてはならない女性であったのでは、斎宮の任期中は人麻呂も思い続けるだけであるとこの歌を詠ったのではないでしょうか

 神社で神職から渡され納める玉串のサカキ、花は白く実はドングリに似ているが食べられない、以前、ドングリと間違って食べ中毒を起こしたと報じられたことがあるがよく観察し知り尽くした方が指導すればこのような間違いは起こらないはず。毒がなければイノシシやシカが食べているはずで山の中ではそのような観察も必要。

 石上神宮を拝する家は少ないと思われる、養母が永くお札等を居間の片隅に祀り転居後も食堂に祀っていました、神棚の方角は石上神宮の方向を向いていました。明治・大正生まれの方は仏教・神道を問わず宗教心が強く昭和生まれになると非常に薄くな、養母が石上神宮を崇拝したのは神道系の学校で教育を受けた影響や実父が皇宮警察官であった生活環境も大きな要素であったものと思います。
 伊勢神宮でなくなぜ石上神宮なのかは古事記や日本書紀に興味がなかったことから聞かずじまいでしたが古くからの門徒としての家系であるのに毎年のように石上神宮に初穂・玉串料を納めていたことから養母の心に何か大きなものがあったと思われます。

 石上神宮は伊勢神宮、大神神社とともに日本で最も古い神社のひとつで、拝殿は宝剣が埋められている神域の山、神主は物部氏の末裔である森氏が世襲制で受け継いでいる、また、社号として神宮を名乗る神社であるが日本書紀にも伊勢神宮とともに記されているが皇室や皇祖に関連する神社ではない、古事記や日本書紀に由来する宝剣、鏡、八百万の神に由来する神社は鹿島神宮、香取神宮、熱田神宮等六社あるがそのうち最も古いのが石上神宮である。
 記録などによると斎宮が派遣されていた、神武天皇の東征に関連し健御雷神(たけみかずちのかみ)が国土平定にもちいた横刀(たち)布都御魂(ふつのみたま)を石上神宮に坐すと古事記にあることから地理的に見て熊野方面に対する大和政権の方針ではなかったのかとも思われる。石上神宮の神域は杉の山であるそうです花粉症の私は春先はお参りできない涼しくなれば平城遷都一三〇〇年を実感しながら古事記・万葉の地を尋ねてみようと思っています

 祖母は熱心な門徒であったそうですが実母や姉妹は宗教心が薄い、甥にあってはないと言ってもよいぐらいでであるのに結婚式やお宮参りはする、クリスマスをして夏には町内の地蔵盆で盆踊り11月には七五三でお宮参り、お寺や神社のあり方に「ふん」とう思想を持っているのなら結婚式やお宮参りは人前式でする気概がを持てばさすがと思うがそこまで徹底していないところが人の弱さか・・・たぶん甥は「門徒」「それ何」と言うであろう、さらに、「門徒の意味は」と聞き返し説明できなければそれ見たことかと勝ち誇るだろう、親の顔が見たいものです?

2010年8月24日火曜日

秋の七草


秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花((・1537山上憶良)
秋の野に咲いている花を、指折って、数えてゆくと、七種の花だ。

萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴 朝顔が花(8・1538山上憶良)
萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、おみなえしに、また藤袴、朝顔の花。

 上の歌が問いで下の歌が答えである、七種の花とは秋の七草を指しているようであるがおそらく庭で子どもに花の名前を挙げながら指を折り数えて七種を詠っている。施頭歌という。
 上の歌は57577、下の歌は577577の形式で詠われている、
 和歌の形式には長歌、短歌、施頭歌、仏足石歌、片歌があり現在和歌といえば短歌の形式57577の31文字のものをいう、長歌は5757・・・577と57を3回以上繰り返し最後を7音で終了するものでほとんどが反歌を伴う
 仏足石歌は575777調で577577調を施頭歌と言う
 万葉集では施頭歌等が62あり35が柿本人麻呂の歌だそうで古今和歌集になるとまれな詠み方となり、後には57577の31文字が短歌であり和歌をさすようになったそうである。仏足石歌や旋頭歌の文字数のリズムは現在の作詞に通ずるものがある。 
 

2010年8月22日日曜日


橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し(18・4112大伴家持)
橘は花の時も実の時も見ましたが、いつ見ても素晴らしくてますます見たいという思いが募ります。

 橘は酸味が強く食用にならいものですが花も実も香りが強く初夏に咲く白い花や晩秋の橙色の実とも見てさわやか柑橘油の香りは昔から不思議な力を恵んでくれたようで、紫宸殿等には左近の桜、右近の橘として植栽されている、また、家紋としてデザインされている、近年では橘花(戦闘機)、橘(軍艦)等の名称にもあるように古来から不思議な力があるものとされていた。

 初秋の今頃は橘の実はまだ葉と同じ緑です。最近では絶滅危惧種Ⅱ類に位置づけられ特別な場所以外では見ることができない。京都御苑の紫宸殿前だけでなく場所が確保できるなら周辺で増やして欲しいものです。
 
 柑橘系の果実は果肉を食するもの果皮を食べるもの果汁を使用するものと属によりいろいろである、温州みかんやデコポン、オレンジ等は果肉や皮まで大事に使われたが最近では陳皮(チンピ)という用語を知らない方もある、果汁としては橘に近いのが酢橘で沖縄のシークヮーサーも近い品種だそうです。

 この時期はまだまだ青いミカンも太陽の光をいっぱい吸収し橙色になる日も近い、レモンや柚子、酢橘は果汁だけを飲用したり果肉を丸かじりすることはほとんどありませんが加工次第で美味しいものになる、また、甘夏やグレープフルーツには不思議な苦みがありそれが美味しいさでもある。
 今日は8月24日、綿柎開(めんぷひらく)日で、明日はこの夏最後の満月です。そして、赤とんぼが姿を現すころ。炬燵ミカンはまだ先のことです。

 

ナツフジ



我がやどの時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹が笑まひを(8・1627大伴家持)
私の庭に時期はずれの藤がさいた。珍しいその花のような愛すべきあなたの笑顔を今すぐにでも見たい

 時じき藤、時ならぬときに咲いた花でナツフジのこと花は薄い黄緑色、普通藤の花は春に咲くが夏に咲くことがある、また春に咲いた藤は今頃に実がつく
 
 植物の名をあげて季語だ時期が異なると額に縦筋の皺をつくりなにかと説明をしてくださる方がいますが川柳の好きな方が
 珍しき 花の薫りに 教えられ (時期外れの花に今年の天候に注意しなさいと教えてもらったよ)
とそっと耳打ちしながら万葉集や和歌には春の花が秋に咲いたとか、春や夏に花を詠うと夏や秋には実がなったと読まれている、その情景が季語の本質だなとひとり言のようにつぶやきながら笑みを浮かべていました

 ヤマモモ(楊梅)の実が熟して落ちる頃ですが四国や広島方面の農協では今期収穫のヤマモモジュースが出始める頃です、徳島の山中を遍路中にいただいた缶ジュースですが歩き疲れた身体にはご馳走であり疲労回復の生薬でもありました。春に散歩で花に癒され、果実が実る初夏には木陰でその恵みをいただき、初秋には果汁で喉の渇きを潤しこれが季節を知る現実だと思うこのごろです。ヤマモモのジュースだけをあげるとコケモモのジュースもあるとかヤマモモのジャムやコケモモのジャムも美味しいよと教えてくれる方があり美味しい物好きの私にはたまらないお話です。そういえば、コケモモはツツジ科でヤマモモはヤマモモ科ですよと詳しく教えてくださる方もあり実を採取するのなら庭や裏山に植え手入れをしてやると美味しい実をたくさんいただけますということも教わりました。写真はコケモモの花です。 

2010年8月19日木曜日

姥玉





うばたまの 我が黒髪や かはるらむ 鏡のかげに 降れる白雪 紀貫之
 
いとせめて 恋しきときは うばたもの 夜の衣を返してぞ着る 小野小町

うばたもの 闇のくらきに あま雲の 八重雲がくれ 雁ぞ鳴なり 源実朝

うばたま ひおうぎの実 

 先日、ひおうぎについて少しだけ載せましたが「うばたま」の後に続く言葉によって歌の内容が変わる、大きなカラスが現れ翼から黒い玉が落ちたという故事によると日食による暗闇を表わすようですが黒髪となると艶やかな女性の髪、恋しき時となると真っ暗な部屋の中でとなる、あま雲のとなると社会情勢になる。

 「うばたま」で検索すると「ひおうぎの実であるウバタマ」「姥玉」と「乳母玉」がどちらも和菓子ですが「姥玉」は小豆餡を丸くして寒天や葛をかけてたもの「乳母玉」はギュウヒで漉し餡をつつんだもののようです。

 姥玉をお土産にと思って日持ちを尋ねると2~3日とのことでお店によれば翌日までというところもあったりで賞味期限を気にされる方にはお土産ですとお渡しすると大変早くいただかなくてはとなり購入を躊躇ったことがあります、最近、あるお店で尋ねると5日はもちますとのことで製造元で冷凍しそのまま店頭まで届けられ冷凍のままで販売するので解凍に3時間を要しますとのことで帰りの電車の時間などを考えて買い求めると自宅についてもまだ半解凍状態でそのまま冷蔵庫へ入れておくと1週間くらいは味を楽しめそうだと思ったので次は買うつもりでいます。
 姥玉は餡と羊羹に自信がなければできないもののようで梅田の百貨店ではお目にかかれない、神戸でも百貨店に一店づつしか出していないし、京都のお菓子屋さんでも要冷蔵で昔は常温で販売されていた記憶があるのですがあのころはお土産でいただくとすぐに食べていたのだろうか。

 

 

2010年8月17日火曜日

ムラサキ


韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも(「4・569)
カラの人々が衣を染めるという紫色のように、鮮やかに心にしみついてあなたのことが思われる

 ムラサキは濃い緑色の葉と小さな白い花がさく、多年草で根を採取し染料として使用されていたが最近ではムラサキそのものが絶滅種に指定されている、栽培は発芽率が低くウイルスに弱いため株を増やすのに大変な苦労がいるようです、栽培用に同属異種のセイヨウムラサキがある、
 染織用に使用された根は紫根といわれ年数の経った太い根ほどきれいで濃い紫色に染まったそうです。最近ではお目にかからないが紫に染めた絹の布を鉢巻きにして頭に巻き病気平癒を願う風習があった。歌舞伎でお目にかかるのがこの紫の鉢巻きである。

 根は紫根として日本薬局方に収録されており抗炎症作用、殺菌作用、創傷治癒促進等があるらしい、口内炎のお薬に使用されているそうです、紫根に含まれるシコニンという成分をバイオテクノロジーで大量生産し口紅につかわれている。

夏に白く小さな花が咲く植物にサギソウ、ダイモンジソウがあるどちらも不ぞろいな花が咲く、緑の中に白い花を見るとさわやかさがある、ダイモンジソウは暑さに強い植物だそうで満開時に全草を刈り取り天日で乾燥させ欠席などの際に煎じたものを飲用するそうです。

2010年8月15日日曜日

女郎花


をみなへし 秋萩凌ぎ さ雄鹿の 露分け鳴かむ 高円の野そ(20・4297大伴家持)
露に濡れたおみなえしや秋萩を凌いで雄鹿が露を分けて鳴くであろう、そんな高円の野だ

 上は高円の野に酒を持って登った折に詠ったもので下は宴席で詠おうとしたが未奏となったものである

秋風の吹き扱き敷ける 花の庭 清き月夜に 見れど飽かぬかも(20・4453大伴家持)
秋風が吹いて散り敷かれた花の庭を澄み切った月明かりのもといくら見ても見あきないことだ

 8月7日を過ぎると秋である詠われるときにも秋を思わせる言葉が多いのも自然の成り行き、現在のように居酒屋や焼き肉店でちょっとお腹いっぱい飲んだのでなく、風雅を詠う余裕がある酒の肴が景色であり月明かりをたよりに下山したと思われる。
 女郎花(おみなえし)が詠まれた歌はよくあるようです、秋の七草で花言葉は「親切」「美人」「永久」「忍耐」「はかない恋」だそうです。生薬名は敗醤根(はいしょうこん)消炎製解毒薬として根がつかわれたようです、男郎花(おとこえし)という花もあるそうです。
 ススキと女郎花を生け白玉のお団子に砂糖を振りかけて店頭でのディスプレーでは真っ白なお団子にパウダーシュガーと薄茶がまぶされ、その下には濃い茶と氷砂糖を砕いたのが敷かれてあった氷砂糖は枯山水のお庭の砂、濃茶は苔でお団子の薄茶は青モミジか松の葉。
 送り火のお供えにお団子、高価なお菓子ではなく手作りのものが一番です。
 女郎花の仲間にカノコソウがあるこの花は鎮静効果があるそうでお盆の帰省中渋滞でいらいらしているドライバーに落ち着いてとソーッと差し出すのも効果があるか

2010年8月14日土曜日


玉掃刈り来鎌磨室の樹と 棗が本とかき掃かむため(16・3830長意吉麻呂)
たまはばきを刈り取ってきなさい、鎌麿よ。室の樹と棗の樹の下を掃除したいから。

玉掃(たまはばき)、キク科のコウヤボウキ
室の樹(むろのき)、ヒノキ科のネズ
棗、クロウメモドキ科、6月に淡黄色の小さな花を咲かせ8月中ごろ実がなり9月ごろに実が熟す、実は生のままでも食され祝いごとにももちいられる。利尿や鎮静効果があるそうだ。
 

 今日、京都市役所の本庁舎の前を通ると白とピンクの百日紅の花がまだ咲いていました8割は薄い緑色の実になっていましたが開花の時期はもう少しで終わるようです。久しぶりに昔の知人とお茶をしました、知人に「長月の時雨・・・」と話すと知っているとのことで大変うれしく思いました歌の意味は別として知る人ぞ知る。この知人に梅やモモもいいけど棗も生で食べられるし乾燥させてお菓子に使えるよと伝えるのを忘れました。
 栗名月、芋名月のころ栗やお芋のお菓子とともに棗も一緒に添えるといい

ムクゲ


淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに いにしへ思ほゆ(3・266柿本人麻呂)
あふのうみゆうなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ

夕焼けのきれいな湖面を千鳥が鳴きながら飛ぶ姿を見て都の興亡を見るにつけ心がしおれるほどである

 場所は崇福寺付近の湖岸である、万葉の時代には今日のように浜近くまで民家はなく山側に街道があったと思われる、千鳥の鳴く姿を見るには山寺から湖岸へいたる途中か唐崎の浜まで出るしかない、緩やかな下り坂を浜へと向かいながら対岸を見ると近江富士が夕日に映えて美しく見える、途中の古い民家の庭のザクロの花が落ち小さな実がなり始めている、まだ実が割れて紫色の果実が宝石のように見えるのはまだ先のようである、そろそろ、木槿(むくげ)の花が咲き誇るころである。

 石榴の根の皮・樹皮は石榴皮といわれ腸出血、扁桃腺、口内炎に効能があるそうだ、石榴の実は喉の痛みをおさえるそうで水で煎じてうがいをすると書物で見たことがある!石榴の実は子どもの守り神である鬼子母神の好物、

 そろそろ、木槿の可憐な花を模した練りきりのお菓子が出始める頃で水菓子の時期とかさなり団子と練りきりのお菓子がわらび餅と肩を並べて店頭に並び始める
 ムクゲの蕾は下痢止めの薬として珍重されたそうですが天日で干し保存するそうですが花が咲く前に全部を採取するのは野暮、少しは残して開花を楽しみましょう。 

2010年8月12日木曜日

ハシバミ


思う子が 衣摺らむに にほいこそ 島の榛原 秋立たずとも(10・1965)
ハシバミの実がみのる秋はまだですけど、私の思いはつのるばかり、あの人の衣を早く摺ってあげたい

 榛の木は7メートルの樹高になるが30年程度の寿命だそうです、土地に必要な窒素を固定する植物として知られ土地改良の樹として植えられてきた、また、アイヌは血の木ケネとして樹皮を煎じてお産の後に飲ませていたそうである。
 摺り染めとは模様染めだそうで榛の実を蒸し焼きにした黒灰を用いる方法と実を煎じた汁で茶色に染める方法があるそうです。

 239年に卑弥呼が中国に使節を送ったときに土産として「男の生口4人、女の生口6人、班布242丈」を献上したという記録がありますが生口は中国語で奴隷という意味、大国の王が10人ほどの慟労力を送られて喜ぶはずがなくこの場合の生口は特殊な技術特に中国ではまれな技能をもった者という意味で勿論、当時のことですからそのまま中国にとどまったものと思われ、そういう意味で生口と記録されているようです、女性の場合は側室という場合もあり美しく賢明な方も含まれていたものと思います。布は中国にもあるはずですがこれだけのものを献上するということは中国にない織り方や染織をしたものであることは明らかで中国では錦織のもので日本からのものを特に倭(やまと)と呼び珍重し特殊なものであったようです。

 榛の花は春に咲き、実は秋になる。詠った時期はこのころであること秋も衣装、冬の服を造る構想をねっていたのでしょう。

 少しづつ涼しくなるのかと思いますがまだまだ暑いです、12日ですお盆のお迎え団子、米粉を湯で練って蒸し御先祖様にお供えをするようですが、今では忙しくてできない家も多いようです、そんなの作る手間と時間がないという方は買ってくれば美味しいお団子、この時期だけ限定で販売されてます。

2010年8月11日水曜日

ノイバラ


道の辺の茨の末に這は豆の からまる君を別れか行かむ(20・4352丈部鳥)
みちのへのうまらのうれにはほまめの からまるきみをはかれかいかむ
道の辺のうまらに豆のツルがはいのびるように気持ちがからまるあなたを置いて、私は行かなければならない

防人は現在でいう徴兵のようなもので任地に向かう時には送り届ける役人が同行ししかも交代の者が来るまで3~5年任務に就く、防人は都を守る任務ではなく当時の国境や交通の要衝の防衛にあたるわけであるから辺境の地でに赴くわけで、任地に向かう途中や任地で病死したり任務が終わり帰るときに亡くなる者もいた。
 当時は食料は個人の責任で調達しなければならず任務だけでなく任地に行くませの行程、帰りの行程も苦しいものであった。
 任務を履行するためであるから国で食料の面倒をみるという時代ではなかった、しかも、交代の者が確実に到着するという確約はなかった。
  
 うまら、茨からノイバラに転じたもの園芸品種ではなく花も小さく可憐なもの。
 ノイバラと豆のツルとが絡んだ状態を詠んだ防人の心境は棘を表わし花や香りを詠っていない、棘だらけのバラの茎と豆のツルが絡みとけないほどの別れの辛さ、過酷な身の上では花や香りを詠う余裕があるはずがない。
 
 ケーキにクリームの薔薇がのているのをよく見ますが、砂糖菓子で作られた薔薇は茎も棘も葉もリアルに造られている。砂糖菓子の牡丹を見て薔薇と勘違いしている方もありますが本物の花のように見えれば見る方も間違えることもある。
 京都御苑の北西に京都菓子資料館があります有料ですがお茶とお菓子をいただけ精巧な砂糖菓子も見ることができます、工芸菓子は手入れも大変ですが一度作れば10年ほどはもつらしい、烏丸通りの西側、相国寺のにしです饅頭人形のストラップも売っていました。

2010年8月10日火曜日

鶏頭


恋ふる日の日長くしあれば み園生の 韓藍の花の色に出でにけり(10・2278)
恋しいと思う日が長く続くので、私は庭に咲く色鮮やかなカラアイの花のように顔色にはっきり出てしまった

韓藍(からあい)、鶏頭

 鶏頭の花言葉は「永遠の愛」「情愛」「色あせぬ恋」「おしゃれ」であるそうで万葉人も恋の花と見ていた東西を問わず恋の花である

 鶏頭の花は染料として用いられていたようで赤い花の部分を集めて染めると赤みかかった朱色になるそうです。色の染まり具合は絹、木綿、麻それぞれ若干の違いがあると思われるが情熱的な色になることは間違いない。
 
 今日は8月10日、六道詣りの最後の日です。落語に幽霊飴という話があり毎夜、飴屋に若い女性が現れ飴を買って帰るので後をつけると墓場で幽霊が墓地で産んだ子に飴を食べさせて育てていたという内容であるが詳細は寄席で、
 麦芽糖とザラメ糖を煮詰めて冷やし適当に割った琥珀色の飴、女性の幽霊が子供を産んで育てていた墓地があるのは高台寺で落ちは「子を大事」である。
 恋も愛も大事だがその結果、生まれた子は大事だよ。

2010年8月9日月曜日

百日紅


家にありし櫃に鏁刺し蔵めてし 恋の奴がつかみかかりて(16・3816穂積親王)
家にある櫃に鍵をかけて閉じ込めておいた 恋の奴がつかみかかってきたぞ

 天武天皇の第5皇子である穂積親王は但馬皇女等と浮名を流した万葉のプレーボーイ、彼は宴会で宴たけなわとなるとこの歌を詠ったとのこと。酔ったときの決まり文句であったようである。

 櫃は穂積親王の恋のパンドラの箱で奴は中に閉じ込められた様々な欲望たちのこと

 現在でも音楽番組でたまに「恋の奴隷」などという歌詞が流れるがこれは使ってはならない用語ですよね、万葉時代には公奴婢(くぬぎ)と私奴婢(しぬひ)があり奴は男性、婢は女性をあらわすそうである。

 但馬皇女が穂積親王にあてた歌がある
 後(おく)れ居て恋ひつつあらずば 追ひ及(し)かむ 道の隈(くま)みに標(しめ)結(ゆ)へ我が背(せ)
 (2・115但馬皇女)
 人言を繁み言痛み己が世に未だ渡らぬ朝川渡る(8・1513但馬皇女)
 人言はまこと言痛くなりぬとも そこに障らむ我にあらなくに(12・2886)

 噂話で傷つくのは身分に関係がないことは万葉の時代も同じ何百年経っても男女の仲を中傷したり噂話にするのは同じです、言いかえればこの手のお話について進歩がないと言うことです、噂話をしている当人は罪のない話をしているつもりでも噂をされている人は二度と恋をするものかと傷つく場合もある。

 穂積親王に縁のある崇福寺跡付近を散策すると濃い紅色の百日紅が満開でした夏の花であるこの樹がサルスベリと言われるわけは樹皮のコルク状の部分が剥がれてつるつるになり猿も登れないだろうということかららしいですが比叡山のお猿さんは滑ることなくこの樹を登っていました。
 京阪電鉄で終点は坂本、門前町でお寺さんがあれば供えるお菓子がある、比叡のお猿さんやお鉄餅あまりよそではお目にかからないがお鉄餅は求肥でつぶ餡を包みはったいこをまぶしてある、子どものころこのような上等なお菓子をいただいたことがなかったが、はったいこだけは夏になるとおやつによくだされた、はったいこに砂糖を混ぜ冷たい麦茶で練って食べたが素朴なおやつである。

イワタバコ


山萵苣の白露しげみうらぶれて 心も深くわが恋止まず(11・2469柿本人麻呂)
やまぢさが白露でしとどにしおれるように、私も心の奥深くうちしおれて恋し続けることです。

やまぢさ、岩煙草ともエゴノキともいわれている、岩煙草は葉が煙草の葉に似ているところから呼ばれているが、煙草がアメリカ大陸からヨーロッパに煙草が伝わったのは15世紀で岩煙草と煙草は品種が全く異なる、タバコとはインディアンの言葉と言われていたが語源はアラビア語のtabaqで薬草という意味であるが愛煙家というかニコチン依存症の方に都合がいい言葉になりそうであるので非常に限られた症状をお持ちの方以外は薬と思っていただきたくない。
 しかし、岩煙草の花はピンク系の紫色と白色とがあり小さく可憐な花で岩場に育つ山野草で日本の本州が生育の北限地とされている。
 生薬名は苦苣苔(くきょだい)乾燥した葉や生の葉が健胃に有効とされている。

 先日、新快速に乗っていたところ横に座られた男性の呼気から強い煙草の匂いが電車を待つ間に暑く汗をかかれたのか街頭で配られたものか団扇で煽ぎはじめ、煙草の匂いと汗の匂いがそして強烈な加齢臭がエアコンの送り出す風と団扇で煽がれた風で襲ってきた、5~10分窓とドアを閉じたまま走行する電車の中です暑さを我慢しなさいと言いませんがトリプルの悪臭は困りますよ煙草臭と汗の匂いあなたの責任でなんとかなります。
 加齢臭の強いのは男性のみならず女性もですが締め切られた車内で香料の強いお化粧品をお使いの女性も汗と香料と加齢臭のトリプルパンチを周囲の方に与えていることをおわすれなく。

 香料も多量になると嫌なものですが、少量の香りはさわやかであり穏やかでもある、この時期は夏ミカンの皮をむく際の柑橘油の香りいいですね、柚子湯をいただく際に湯船で皮をおさえると油が飛散し湯の表面にさっと広がり蒸発するこのときの香りはいいものである。
 暖かくなるとお菓子屋さんのコーナーに柚子小丸なるものや花つぼみ、丸柚餅、柚衣といった果物類を加工したお菓子も出てくる。

2010年8月5日木曜日

標野


あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る(1・20額田王)
狩場のなかを行きながら私の方へ袖を振るのを番人が見ていますよ

むらさきの ひほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも(1・21大海人皇子)

年中行事である薬猟の最中の出来事を即座に詠いまた返歌したものです

 狩りをする場に張りられた標野、65年前はoff-limits area、現在は当局が張り巡らす黄色いテープ(立ち入り禁止)と黒い文字が、祭礼時に御幣をぶら下げて町内に張ら縄と時が変われど限られたものしか立ち入れない場を示すのが目的。
 
 滋賀県のお菓子屋さんが標野というお菓子を製造されている、ゼリーを煮て梅汁で味を漬け中に梅の実を入れ固めたもの、ゼリーを使用すると賞味期間が長くなるのか、葛やカタクリ・蕨粉などのものはあまりお目にかからない。
 ある店で朝顔というお菓子を見ましたが色からは昼顔にも思えた
 最近は、和菓子屋さんもゼリーをよくつかわれるようで、鮮やかな紅色のサクランボを透明のゼリーで包むように固めたものや、夏ミカンの果肉をゼリーで煮詰めくりぬいたミカンの皮にゼリーを流し込み固めたものが多くなり始めたのもスィーツ嗜好の変化の表れとすれば和菓子職人さんの技術も変わるのか?
 最近は、トマト・びわ・メロン・モモをゼリーのなかに贅沢な使い方をされているがもともと果実そのものがお菓子であったことを忘れてしまう

2010年8月4日水曜日

朝顔


臥いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出でじ 朝顔が花(10・2274)



ころげまわって恋死ぬことがあろうとも 目立つほど顔色に出すまい 朝顔の花のように

次の2275には「朝顔のように人目に立ってしまわないように恋をする」という記載があるそうですが、 男女を問わず色恋のみならず持ち物にまでああだこうだと話のタネにすることが好きな方が多い、朝、静に咲く朝顔は青、紅、紫、白と色はさまざまであれ美しく目立つ,太閤様も利休の庭に咲く朝顔を所望したそうで一輪の朝顔を美しいと思うのは誰しも同じであるが美しいと話題にすると何時しか目立つものとなり変化していく。
 万葉の当時から目立たないようにという静かな恋があったのだ。


 型抜きした干菓子の朝顔はありそうですが生菓子で朝顔と称する菓子があるだろうか名と見た目と味がそろって納得する朝顔を表現する菓子があれば夏の朝茶事にピッタリのご馳走になるのでは



牡丹


深見草今を盛りに咲きにけり 手折るものをしし手折らぬものを(良寛)

深見草、牡丹


老いても恋を忘れなかった良寛、何か隠されたものがありそう


牡丹の花には白、紅、紫と変化が多く山や庭園に多く植えられている、根の皮は漢方としてもちいられ消炎、止血、便秘薬として煎じて服用された。

 植物や情緒、風景を季語として特定するのはそのものの盛りをもってするのか情景の涼しさ、温かさをもってつかうのか詠む人の力量にあると思います。


 この時期、お菓子の名称に「瀬音」「荒磯」「湖」等涼しそうなものが多く、また、半年ほど密に漬けこまれた果実が出てきますが実を収穫した時期からすると季語とはかけはなれたものになり、製造者にすれば熟成や漬けこみに適した時間からすると詠み人に季語として特定されたくないだろう。

 ミズボタンがあるのなら雪見牡丹もあるのでは?

 暑い毎日、見て涼しく名前を聴いて涼を感じ、口にしてひんやりもいいものですが、ガラスのコップにつがれたジュースも季節感を表わすものではないでしょうか?
 以前、歩いて遍路した時、休憩していると「スダチジュース」をお接待でご馳走になりました、以来、四国へ行けばスダチジュースを求め、友人にも飲んでもらおうと現地から宅配便で送り四国の味のおすそわけをするようになりました。
 徳島、高知ではポピュラーなジュースですが海を渡って帰るとなかなかお目にかからない商品のひとつです。讃岐の醤油豆もお目にかかることが少ないもののひとつです。

2010年8月2日月曜日


わが屋前の時じき藤のめづらしく 今も見てしか妹が咲容を(8・1627大伴家持)


我が家の季節はずれの藤の花のように、愛らしいあなたの笑顔を今でも見たいものです。



この時期になるとミツバチが集めた藤の花の蜜が出始める、藤の蜜の甘みは涼しい味がするそうです、藤の樹の瘤の部分を軽く水洗いをし天日で干したものを煎じて飲用すると胃や婦人病に大変良いという言い伝えがあり研究されているようです。種子も下剤として服用されたようです。

 藤の花と言えは春ですが桜だけでなく天候や気温の変化を草木は微妙に感じているものではないでしょうか、この時期は大雨時行と伝えられ夕立に気をつけようと言われて時として夕立ならぬ大雨もあるかもしれませんね。


 一般に藤といえば野田藤を言いますが野田藤はつるが右巻きで、本州中部から西に分布する山藤はつるが左巻、野田藤の花は長いが山藤の花は短いという違いがある。   

ハマユウ


熊野の灘の浦の浜木綿百重なす 心は思へど直に逢はぬかも(4・496柿本人麻呂)

熊野の灘のはまゆうのように幾重にも心に思っているのに、じかに逢うことがかなわないようなことですよ。


浜木綿の正式名はハマオモトであるが万葉の時代になじみのないこの花が人麻呂の妻を思う品格のある歌が広めたものと思う、数年前、お遍路の途中に白い彼岸花に似たこの花を見て彼岸花の白い品種かと思いずっと彼岸花であると思っていましたが、見る方向を変えて眺めればもっと鮮明に記憶に残ったものと思います。私がこの花を初めて見たときは山沿いの道端でありその反対側にも咲いていたのを見れば太平洋の白い波がしらと浜木綿の白い花が重なり人麻呂の歌の光景が浮かんだかも。

 

 浜木綿は書物によるとヒガンバナ科であるそうで彼岸花と同じく根には有害な物質が含まれているようです。以前、私の師匠からヒガンバナ科の花で黄色い花のものがあると聞いたことがあります。


 7月31日から8月1日にかけて愛宕神社の「千日詣り」、この日にお参りをすると千日分の火伏せ・防火のご利益があると言われ、愛宕山と天狗信仰、伊勢に七たび、熊野へ三度、愛宕山へは月詣りといわれるほど火廼要鎮の神様と熊野信仰のつながりは何かの縁があるのかと思います


 神社、寺院への参拝の土産に「あたごさん」「阿舎利餅」などがある。